2026年6月号(No.667)バックナンバー

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ASEANで“創りに行く”M&A:本社×現法で実行ギャップを埋める

EY Corporate Advisors Pte Ltd

木村 昌吾

本稿は、在シンガポールの日系企業が直面している「成長投資(とりわけM&A)の実行ギャップ」を構造的に整理し、現場が本社の意思決定を前に進めるための視点と手順を共有することを目的とする。

近年、地政学・規制・技術革新が同時に進み、ASEANにおける投資機会は確実に増えている。そして多くの日系企業でも、成熟市場の延長線ではない“非連続な成長”を求めて、M&Aを含む外部成長の案件発掘に携わる人たちが増加している。ASEAN各国の拠点長はもとより、事業部のGM、経営企画や投資担当者は、現場で情報を集め、仮説を立て、パートナー候補に当たり、ようやく稟議に乗せるところまで持っていく。ところが、その努力に比例して成果が積み上がるかというと、現実はそう単純ではない。号令は「攻めろ」なのに、本社が求める条件は「大型で、高収益で、低リスクで、しかも安い」。リスク評価と合意形成には時間がかかり、競合は先に動く。結果として現場では、「動け」と言われているのに、動けば動くほど“動けない理由”が増える――そんな摩擦が蓄積している。なぜそうなるのか、そしてどうすれば本社の判断を前に進められるのかを、売り手側の事情も踏まえて整理する。

現場で起きている“摩擦”の正体

現場の摩擦は、単に「本社が厳しい」から起きているわけではない。根っこにあるのは、本社の号令がしばしば「買い手の理想条件」だけで組み立てられ、M&Aがなぜ発生するか―すなわち売り手が動く理由を十分に踏まえていない点にある。

売り手の動機は、①有力パートナーとの資本業務提携・JVによる共同成長、②資金ニーズに基づく資本参画、③セクター再編やリストラに伴う売却、④PEやファミリー等のマネタイズを目的とした売却、などに整理できる。こうした「ターゲットが動き得る理由」を起点にしなければ、買い手がいくら理想条件(大型・高収益・低リスク・安価)を掲げても、そもそも案件化しない。現場が最初から“無理ゲー”の感触を覚えるのは、この入口のズレが大きい。

このズレがあるまま「出物」に飛びつくと、別の問題が起きる。出物は売り手事情で出ているのであって、買い手の理想条件に合わせて整形されているわけではない。結果として、捕まえることにエネルギーを使っても、稟議段階でギャップが一気に顕在化し、承認される確度が上がらない。出物依存は“動いた感”は残るが、実行に結びつきにくい。

摩擦を増幅させるのが、合意形成の多層化である。海外案件は規制やガバナンス、会計・税務、カントリーリスクなど論点が多く、関与部門も増えやすい。追加資料→追加質問のループが続けば、リスク評価は「慎重」から「遅延」へと変質する。機会が時間限定である以上、この遅延は手続きではなく、競争リスクそのものになり得る。

そして現場が最も強く感じるのが、「やらないことのリスク」が評価されにくい点だ。投資のリスク(やるリスク)は精緻に議論される一方、出遅れやパートナー喪失、市場参入の窓が閉じるといった機会損失リスクは、定量化されないままこぼれ落ちやすい。結果として“やらないことが安全”という誤った合理性が強まり、現場のフラストレーションだけが積み上がっていく。

要するに、偶発的な出物に期待して待つだけでは、号令が続く限り現場は消耗するが、組織としては「いつまでもやれない」。必要なのは、買い手の理想条件を掲げる前に、売り手が動く理由を起点に案件を設計し、合意形成に耐える形に“翻訳”していくことである。

出物を待つM&Aから、創りに行くM&Aへ

出物を待つM&Aには限界がある。市場に出てくる出物は売り手事情で発生し、買い手の中計や理想条件に合わせて現れるわけではない。偶発的な案件に飛びつけば「動いた感」は出るが、稟議段階でギャップが顕在化し、結局は通らないという徒労になりがちだ。だからこそ必要なのは、M&Aを出物待ち(Contingent)から創りに行く(Scheduled)へ転換し、ターゲットを“逆指名”して取りに行く発想である。

問題はその入口にある。本社と現場のコミュニケーションが噛み合わない限り、逆指名は絵に描いた餅になる。中計で「3年でASEANに1,000億円投資」と先に数字を掲げ、現場に「いい案件を持ってこい」と投げる。しかし国ごとに市場環境も候補もリスクも異なる以上、「いい案件」という曖昧な要求に「大型・高収益・低リスク・安価」と条件だけが積み上がれば、現場は“却下される理由”を集める作業に追い込まれる。

本来は順番が逆だ。各国の畑(市場構造、競争環境、規制、資金需要、オーナー事情)を踏まえ、「この畑ならこの程度の果実が取れる」という仮説を積み上げ、その合算として投資目標が“必要になる”べきである。ここでいう果実収穫の仮説こそ、「ここが買えたらいいね」という逆指名(Wish List)だ。ただしWish Listは羅列で終わらせてはいけない。本社と現法が共同で、Wish Listを生み出す前提―すなわち「ゴール」と「ターゲットユニバース」を揃えることが重要である。

ゴールとは投資金額や件数ではなく、成功イメージ(短期・中期・長期)を言語化し、「何を取りに行くのか」(機能・市場・顧客接点・データ・人材など)を具体化することだ。加えて、どの国・どのセクターに、どのサイズ帯・どのオーナー類型のターゲットが現実的に存在し得るのか―この“地図”(ターゲットユニバース)を本社と現法で共有することが、摩擦解消の第一歩になる。

さらに、この共同設計は“守り”ではなく“攻め”でもある。売り手が動く理由を踏まえ、どの類型の相手なら動き得るのか、こちらは何を提供できるのか、どの取引形態なら成立しやすいのか――逆指名に必要な入口条件を共通言語として持てる。すると、案件のたびに「理想に合うかどうか」を照合する不毛な作業ではなく、「このゴールとユニバースに照らすと狙うべき相手はここだ」という建設的な会話に切り替わる。加えて“やらないリスク”も、ゴールと地図があることで初めて意思決定のテーブルに乗ってくる。

要するに、逆指名型M&Aの出発点は「案件探し」ではない。本社と現法が共同でゴールを打ち立て、逆指名に足るターゲットユニバースについて共通認識を持つこと――ここが揃って初めて、出物待ちから創りに行くM&Aへ踏み出せる。

逆指名型M&Aを「回る仕組み」にする――PDCAとDeal Hypothesis

前セクションで、本社と現法が「ゴール」と「ターゲットユニバース」を共同で設計する重要性を述べた。次の論点は、それを実行に落とし、再現性をもって回す方法である。

図表2は、逆指名型M&Aを属人的な経験やネットワークではなく、PDCAとして運用する枠組みを示している。その中心にあるのがDeal Hypothesis(ディール仮説)である。逆指名したWish Listはあくまで「買収の願望」であり、一方的な希望に過ぎない。Deal Hypothesisはそんな片想いを案件化に耐える設計へ引き上げる“芯”であり、少なくとも次の四点を一体で組み立てる。

(1)ターゲットが動き得る理由(売り手動機の仮説)

(2)相手の経営課題・制約(何に困り、何を避けたいか)

(3)自社が提供できる価値(Giveの設計:資本だけではない)

(4)相手が受け入れ得る取引形態(100%買収一択ではなく、提携・段階取得・JV等)

 

図表2の左上「Goal Setting」は、前セクションの“共同設計”を短期・中期・長期の成功イメージとして言語化し、逆指名の前提(何を取りに行くのか)を揃える工程である。次の「Deal Intelligence」は、ターゲット候補を絞り込みつつ、上記4点のDeal Hypothesisを具体化する段階と捉えると分かりやすい。続く「Deal Creation」は、初期対話を通じて取引可能性(トランザクタビリティ)を検証し、主要条件や論点を早めにあぶり出して、後工程の“想定外の反対材料”を減らしていく工程である。

重要なのは、図表2が「進まなければ次へ」という直線ではなく、仮説の見直しを前提とした循環になっている点だ。案件化が進まない場合は、単に候補を入れ替えるのではなく、中心のDeal Hypothesisを点検し、入口(売り手動機)や提供できる付加価値(Give)、取引形態の設計が適切かを見直す。それでも難易度が高い場合には、Goal Setting自体(成功イメージや優先順位)を更新する。こうしてPDCAが回り始めたとき、意思決定は「安全な先延ばし」から「戦略としての選択」へと更新され、“やらないリスク”も含めた議論が可能になるのである。

本稿で見てきた通り、ASEANでの成長投資を前に進める鍵は、出物を待つのではなく「創りに行く」M&Aへ転換し、その前提となるゴールとターゲットユニバースを本社×現法で共同設計することにある。売り手が動く理由を踏まえずに買い手の理想条件だけを掲げても案件化は進まず、偶発的な出物への反応だけでは「動いた感」は残っても実行には結びつきにくい。逆指名を再現性ある営みにするには、図表2のPDCAに沿ってDeal Hypothesis(動機・課題・Give・取引形態)を設計し、初期対話で検証し、必要に応じて仮説とゴールを更新する――この循環を回すことが重要だ。そうして初めて、“やらないことのリスク”も含めた意思決定が可能になり、現場の努力が実行に向かう蓄積へと変わっていくのである。

目次

<特集>


<着任のご挨拶>


執筆者経歴

大学卒業後、MUFG銀行、モルガンスタンレー証券、野村證券、KPMG FASなどを経て、2025年12月よりEY Corporate Advisors Pte Ltdに勤務。約30年近く、ASEANでのM&A案件の推進業務に従事している。

shogo.kimura@partnenon.ey.com

シンガポール日本商工会議所

6 Shenton Way #17-11 OUE Downtown 2 Singapore 068809
Tel : (65) 6221-0541 Email : info@jcci.org.sg

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