2026年5月号(No.666)バックナンバー

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境界線を越える意志:李忠成が語る、アイデンティティと挑戦の哲学

LNS MANAGEMENT PTE LTD
Director

李 忠成

はじめに:ボーダーレスな地、シンガポールで問い直す「個」の力

シンガポールは、多様な国籍、言語、文化が複雑に交差する、文字通りの「ボーダーレス」なビジネス環境です。ここで生き抜くためには、単なるスキル以上に、「自分は何者であり、何を成し遂げたいのか」という確固たるアイデンティティと、逆境を糧にする哲学が求められます。

自らの出自に向き合いながら「日本代表」という道を選び取り、現在はシンガポールのサッカー界(タンピネス・ローバーズFC バイスチェアマン)および金融界で新たな足跡を残し続ける李忠成の半生を紐解きます。これまでの歩みから導き出した「アルファ(潜在能力)」を顕在化させるための思考法が、シンガポールで挑戦を続ける日系コミュニティのリーダーのみなさまにとって、大きな活力となれば幸いです。

第一章:サッカー人生の軌跡と「逆境」の捉え方

理不尽を「受け入れる」ことから始まったレジリエンス

私のレジリエンス、すなわち逆境を乗り越える力の原点は、在日4世として生まれ育った幼少期にあります。東京で生まれ育ちながら、幼稚園は日本の園へ、小学校は朝鮮学校へと6年間通いました。片道1時間をかけて電車とバスで通学する日々の中で、朝鮮学校の制服を身にまとっているというだけで、幼い私には到底理解できないような理不尽な扱いを受けることも多々ありました。

しかし、その経験こそが私の土壌を育んでくれました。「社会や周りを変えようとするのではなく、まず自分が変わる。理不尽だと思ったことも含めて、まずは全てを受け入れるしかない」という覚悟を、小学校1年生の時から学ぶことができたのです。この「受け入れる覚悟」があったからこそ、後にイギリスに住んだ際や、現在のシンガポールでの生活においても、異なる文化や価値観を尊重し、柔軟に順応することができているのだと感じています。

「他責」を捨て「自責」に生きる

18歳でFC東京に入団し、プロの世界に足を踏み入れてから38歳で引退するまでの20年間、常に大切にしてきたのは「他責ではなく自責」という考え方です 。サッカーは11対11の合計22人がピッチに立つスポーツであり、上手くいかない理由を「パスが来なかった」「監督の起用法が悪い」と他人のせいにしようと思えば、いくらでもできてしまいます。ですが、現実は非常にシンプルです。試合に出られないのは自分の能力が足りないからであり、怪我をするのは怪我をするようなプレーを選択した自分に原因があります。物事の起点を常に自分に置く「自責」の精神は、小学生時代の理不尽さを自ら受け入れた経験から地続きとなっているのです。

プレミアリーグでの挫折と「壁」の歓迎

私のキャリアにおいて、最も高い壁となったのはイングランド・プレミアリーグへの挑戦でした。結局、そこでは期待されたような活躍を残すことはできず、私のサッカー人生において「一生登り切ることのできない山」として心に残っています。

しかし、その絶望的なまでのレベルの差を痛感した時、私はこう考えるようにしました。「切羽詰まった時にこそ、人間の本質が出る。この山を登るのが辛い、しんどいと思った時こそ、やっと自分に成長のチャンスが訪れたのだ」と 。たとえ空元気であってもポジティブにベクトルを上へ向け、ベストを尽くすこと。失敗の要因を明確にし、再びトライする習慣を身につけること。壁にぶつかった時にこそ「成長できる」と心から喜ぶこと 。それが、プロとして生き残るための唯一の道でした。

第二章:国籍変更という決断と日本代表への想い

「李」という姓を背負って生きる覚悟

私が韓国籍から日本籍への帰化を決断したのは、20歳の時でした。織田信長の「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」という言葉を好みますが、限られた人生の中で自分は何者として何を成し遂げるべきかを自問自答した結果でした。当時の私の願いは、サッカーを通じて「在日何々人」という境界線を越え、誰もが平等に国際舞台で戦える環境に寄与することでした 。そのための最大のメッセージは、日本名の「大山」ではなく、あえて「李(り)」という苗字を残したまま日本代表としてオリンピックに出場することだと確信したのです。名前を隠して生きることを余儀なくされていた当時の社会において、李という名前のまま日の丸を背負う姿を見せること。それが、同じ葛藤を抱える人々への希望となり、日本という国が変わっていく象徴になると信じていました 。北京オリンピックに「李」として出場することは、私にとって人生を懸けた挑戦だったのです。

2011年アジアカップ、あのボレーシュートの真意

2011年のアジアカップ決勝で決めたあのボレーシュートは、私のキャリアを象徴する場面として語り継がれています。私にとってあのゴールは、単なる優勝決定弾以上の意味を持っていました。それは、生まれ育ち、これからも死ぬまで愛し続けるであろう日本という国への、私なりの最大限の貢献でした。事実として「李」という男が日本を優勝に導いた。そのニュースが話題になることで、日本社会に少しでもポジティブな影響を与えられたことを、今でも誇りに思っています。名前を変えないことで生じる責任感は時に重圧となりますが、一生「李忠成に申し訳ないことをしたくない」であり続けたいという思いが、今の私の原動力となっています。

第三章:李忠成のフィロソフィー「自分を信じ切る方法」

心の檻に「一匹の狼」も入れるな

講演会などで「努力とは何ですか?」と聞かれるたび、私は「自分を信じ切れる状態を作ることだ」と答えています。ここで大切にしているのが、私が尊敬する監督から教わった「100匹の羊と1匹の狼」の寓話です。自分の心の檻の中に100匹の羊がいるとします。もしそこに、たった1%でも「自分を信じ切れない気持ち」という名の狼が紛れ込んでしまったら、大舞台において、その一匹の狼が100匹の羊を全て食い尽くしてしまいます。つまり、100%自分を信じ切れる状態でこそが、勝負は細部に生き、極限の勝負の瞬間に勝負の神様は微笑んでくれると私は信じています。

数字ではなく「自分との問答」を繰り返す

この「狼」を入れないための手段が、日々の地道な努力です。例えば「今日はシュート練習を10回やる」と決めたとします。10回終えた時、ふと「もう一発打っておいた方がいいのではないか」という思いが頭をよぎることがあります。もしそこで「決めた回数はやったから」と切り上げてしまえば、その小さな妥協が「あの時もう一発打っておけばよかった」という一ミリの不安、すなわち「狼」へと変わります。

大事なのは、設定した数字(タスク)をこなすこと自体ではありません。自分自身と絶えず対話し、問答を繰り返すことです。「自分はここまでやった。これ以上はない」と心から納得(完全自己一致)できるまで自分を追い込むこと。その真摯な対話の結果としての行動こそが本当の意味での努力であり、自分を信じ切る唯一の方法なのです。

4章:ネクストチャレンジ:引退後の新たなフィールド

なぜシンガポールを拠点に選んだのか

2026年現在、私はシンガポールを重要な活動拠点の一つとしています。現役時代、移籍の際に大切にしていた基準は3つあります。一つは「住みたいか(ロケーション)」、二つ目は「やりたいことができるか」、そして三つ目は「稼げるか」です。シンガポールは、東南アジアのハブであり、世界的に見てもこれからさらに伸びていく未来があります。日本からも近く、ビジネスと生活のバランスも非常に優れています。現役の最後にこの地でプレーした際、シンガポールの持つ可能性を肌で感じたことが、引退後のキャリアをここで築く決定的要因となりました。

「埋もれたアルファ」を顕在化させるビジネス

現在、私は主に「金融業」と「タンピネス・ローバーズFCのバイスチェアマン」という二つの草鞋を履いています 。一見異なる分野に見えますが、私の根底にある理念は共通しています。それは「市場に評価されていないポテンシャル」を顕在化させることです(アルファ)。私自身、プロ1年目は一度もベンチに入れない選手でした。しかし環境や指導者が変わったことで、オリンピック代表になり、プレミアリーグにまで辿り着くことができました。もしあのまま終わっていれば、私のポテンシャルは開花しないままでした。この「埋もれた価値」を引き出すことに、私は強烈に惹かれるのです。金融の世界においては、企業の真の価値が株価に反映されていない「市場の歪み」を分析し、投資を行います。一方でサッカーの世界では、タンピネス・ローバーズFCにおいて、Jリーグで出場機会を失っている日本人選手をあえて獲得しています。彼らのパフォーマンスを精査し、「環境さえ変われば必ず輝く」と確信した選手にリスタートの場を提供するためです。事実、今年のアジアカップ(ACL2)では、それまで日本でベンチ外だった選手たちが、韓国やタイの強豪を倒して大活躍する姿を見せてくれています。これこそが、私が追求する「アルファの顕在化」の形です。

シンガポール、そして日本サッカーの未来へ

私のビジョンは、このクラブを通じて、埋もれた才能を全世界へ向けて発信できる仕組みを作ることです。また、アカデミー(育成組織)にも注力しています。10年後、20年後にシンガポール代表がワールドカップに出場し、日本代表と肩を並べて戦う。その中心にタンピネスのアカデミー出身者が大勢いる。そんな世界を創ることが、この国に対する最大の恩返しであり、社会貢献になると信じています。プロサッカー選手としての第一の人生で培った「逆境を愛し、自分を信じ切る哲学」は、今、ビジネスという新たなフィールドで、より大きな価値を生もうとしています。シンガポールというボーダーレスな地で、私はこれからも「李忠成」として、新たな限界に挑み続けていきます。

目次

<特集>


<着任のご挨拶>


執筆者経歴

元サッカー日本代表。2004年よりプロ選手として国内外8クラブでプレーし、公式戦528試合132得点、日本国内タイトル全制覇を含む12冠を達成。2008年北京五輪、2011年AFCアジアカップ優勝メンバー。選手活動と並行して2015年に整骨院事業を起業し、経営者としてもキャリアを開始。引退後は事業領域を拡大し、2024年よりシンガポールで起業。現在はBGタンピネス・ローバーズFC副会長兼スポーティング・ディレクターとして、クラブ経営と競技戦略の両面を担う。

シンガポール日本商工会議所

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