2026年5月号(No.666)バックナンバー

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激甚化する洪水・土砂災害:東南アジアの課題とレジリエンス強化の展望

NIPPON KOEI BUSINESS PARTNERS CO LTD SINGAPORE BRANCH 
General Manager of Singapore Branch
鵜澤 邦泰
TOKIO MARINE ASIA PTE LTD
Assistant Vice President & Head of Risk Engineering
和田隆司

はじめに

近年、洪水・土砂災害等の自然災害は増加し、人的被害が抑制される一方で経済損失が拡大しています。ADRC「Natural Disaster Databook 2024」1によれば、世界の自然災害は2024年に360件(30年平均332件)と増加し、経済損失は2,416億ドル(同1,320億ドル)へ拡大しました。アジアでも2024年は148件(同132件)で、水関連災害の増加が目立ち、経済損失は約319億ドルに達しています。さらにUNDRR「GAR2025」2は、直接損失が1970〜2000年の年700〜800億ドルから2001〜2020年に1,800〜2,000億ドルへ倍増し、公式統計に出にくい頻発災害・干ばつ・健康被害・避難等の「見えないコスト」を含めると災害コストが年2.3兆ドル規模(直接損失の約10倍)に及ぶと試算し、「Resilience Pays(レジリエンス投資は割に合う)」を掲げています。Swiss Re3は、2025年の自然災害による保険金支払額が1,070億ドルと、6年連続で1,000億ドル超になる見通しを示しています。

東南アジアにおいては、2025年11月にラニーニャ下で複数の気象要因が重なり、ベトナム・タイ・インドネシア等で洪水・土石流が発生、同地域でも大規模水災が起こり得ることが改めて示されました。さらに、直接被害に加えサプライチェーン寸断やサービス中断等の間接コストを含む評価が重要であり、製造業・インフラ事業者には仕入先・物流・人材まで含めた連鎖リスク把握が求められます。本稿では、こうした世界的な潮流を踏まえつつ、とりわけ洪水・土砂災害リスクが高まる東南アジアのリスク構造と各国の共通課題を整理しつつ、防災・減災ビジネスやインフラ分野における日本企業の協力機会を展望します。

アジアで進む「水・土砂災害リスク」の構造変化

(1)アジアにおける洪水・嵐・極端高温の増加

アジアでは、洪水・暴風など水関連災害の発生件数が長期的に増加しており、なかでも注目すべきは、被災者数の構造変化です。2024年、アジアで嵐による被災者数は4,040万人(30年平均2,510万人)、極端高温による被災者数は3,630万人(同290万人)と飛躍的に増加しており、水害と熱波の複合リスクが急速に高まっていることがわかります。また、南・東南アジアでは、2024年のスーパー台風Yagiや南アジアの広域洪水・地すべりなど、複数国にまたがる「マルチハザード・イベント」が頻発しました。Databook1は、インド、フィリピン、インドネシア、ベトナム、タイ、バングラデシュなどが、年間災害発生件数の上位国として挙げられており、これらはいずれも日本企業の製造・インフラ拠点が集積する地域でもあります。

 

(2)洪水と土砂災害の「ホットスポット」としてのマレーシア

筆者らの調査によれば、近年マレーシアでは、国土の13.4%で洪水被害が発生し、人口の32%(約1,040万人)に影響を与え、累計被害額は約6,170億円に達しています。 自然災害の大半は気象・水象要因に起因し、洪水と地すべりが最も頻発かつ甚大な影響を及ぼす災害として位置付けられています。特に2021年末に発生した大規模洪水および地すべりでは、セランゴール州首都圏だけを見ても、死者58名、避難者40万人、推計被害額は約1,800億円(GDP比約0.4%)に達しました。幹線道路・高速道路が数十カ所で通行止めとなり、都市高速の水没により物流・通勤が麻痺しました。また、117カ所の変電所が停止し、一時的に約5,000戸が停電、携帯電話基地局も342局が停止するなど、電力・通信インフラの脆弱性が露呈しています。同州ではその後も、丘陵地住宅地での斜面崩壊やキャンプ場を直撃した大規模地すべり(2022年バタンカリ地すべりで31名死亡)など、土砂災害が相次ぎ、観光・サービス産業への影響も無視できない規模となっています。

 

(3)データ基盤・ハザードマップ整備と保険ギャップ

マレーシアでは、国立水研究所(NAHRIM)が水害データセンターを整備しているものの、詳細なハザード情報は原則非公開であり、地方政府レベルでの洪水・土砂災害リスクマップ整備も道半ばです。小流域のフラッシュフラッドや内水氾濫に対応する降雨観測網・確率降雨解析技術も十分とはいえず、地すべりハザードマップも非公開とされていることから、民間事業者・住民がリスク情報にアクセスしにくい状況が続いています。保険面では、マレーシアの一般保険の保険料/GDP比は1.4%にとどまり、2021年12月洪水では、経済損失が約1,700億円〜2,000億円に上る一方で、保険による補償はわずか1割程度にとどまったとされています。 住宅保険が法的義務ではないことや、洪水補償の追加保険料負担、地方部での金融リテラシーの課題などが重なり、プロテクションギャップ(保険未充足部分)が大きく残されているのが現状です。

東南アジアの民間企業事案・対応策

次に、東南アジアにおける民間企業の現状~脆弱性や対策~および求められる対策について見ていきます。ここでは、東南アジアの民間企業で一般に多く見られる内容を整理し纏めています。

【企業の水災対策の状況】

  • 製造工場の例

製造工場は郊外を中心に様々な地形に立地しており、ハザードの状況もまちまちです。過去に洪水被害を受けた施設では、一定程度対策を進めているケースも多くあります。一般に比較的多く実施されて対策としては、以下が挙げられます。

・土嚢の準備

・入り口部などにバンドを設置

・低所建屋入り口への止水板の設置

・構内低所への排水ポンプの設置

・台風シーズン前の構内排水溝の清掃

 

一方、対策の抜け漏れとしては、以下の様な事例が多く見られます。

・建屋外壁低所に閉鎖不能な開口(換気口等)がある

・構外への排水管に逆流防止弁が設置されていない

・止水板のメンテナンスが実施されていない。止水パッキンに劣化が見られる

・水災対策緊急対応計画の策定、訓練の実施

対策によりリスクは一定程度低減されますが、これらの抜け漏れがあると洪水の程度や侵入経路等によっては大規模な被害を受ける可能性も残されていると言えます。

 

  • 商業施設の例

商業施設は施設の特性上、アクセスがし易い場所に立地していることが多く、平坦な都市部に立地していることも多くあります。こういった地形は河川氾濫による影響を受けることも少なくなく、また、豪雨時の排水能力オーバーによるいわゆる「都市型水害」により浸水被害を受ける可能性もあります。加えて、商業施設には地下階がある場合も多くあり、例えば地下駐車場入り口に止水板などの対策がない場合、例え数10cm程度の浸水位でも地下階全体が浸水するといった大きな被害を受ける可能性もあると言えます。

商業施設は比較的新しいものも多く、過去に浸水被害を経験していないと、水災対策は基本的に実施していないことも多く見られます。商業施設という特性上、不特定多数の人が出入りする場所であることから、緊急時対応計画の策定は重要であると考えられます。特に緊急時の電源確保(浸水対策を施した非常用発電機等)、事態を早期に把握し顧客および従業員を安全に退避させるための行動計画、構内に取り残された人員のための飲料・食料等の確保等、特に人命安全を最優先とした対応策を実施することが望まれます。

【企業に求められる対策】

一般に、過去に被災履歴がある場合は対策が進められていることが多く、逆に被災履歴がない場合は対策が実施されていないケースが多く見られます。過去の被災履歴の有無にかかわらず、水災に対して費用対効果も含め適切かつ合理的な対策を実施するためには、まずは立地点を取り巻く環境~水災ハザード~を把握することが極めて重要と言えます。ハザードの有無/大小により取るべき対応策は大きく異なっています。ハザードは一般に再現期間ごとの浸水深で示されることが多く、得られた情報に基づき対応すべき浸水深を決定し、それに対して実効性のある対策を検討、実施していくことが重要です。

例えばある立地点で再現期間200年の浸水位が1m、再現期間1000年の浸水が5mであった場合、どの浸水深を「守るべき浸水深(防護ライン)」と考えるかは一義的には各企業の判断に任されます。判断は各社の置かれた環境、業種、社会的責任、経済合理性等によって異なるため、一概にどの防護ラインが正解ということはできません。ここでまず考慮するべき事項としては、人命安全、およびどうしても途絶させてはいけない製品やサービスをどのように確保/防護するかが挙げられます。

例えば人命安全の確保は、一般には何にもまして重要であると言えます。この場合に考え得る合理的な最大の浸水深(例えば再現期間1000年の浸水深)においても確実な対策を実施しておくことが望まれます。一方で浸水深5mや10mといった極めて規模が大きなものに対しては、一般にはハード面の対策を実施することは難しいと言えます。また、再現期間が非常に大きい場合、ハード面で対策することは必ずしも合理的と言えない場合も多くあります。この場合、ソフト的対策、すなわち緊急時にどのように対応するかを時系列で定めた「緊急対策タイムライン」をあらかじめ策定し、これに呼応する訓練を繰り返し実施することにより、緊急時の被害を低減できる可能性が高まると考えられます。

他方、浸水深50㎝~1m以下程度については、防水堤、防水板、嵩上げ、排水ポンプといった「ハード対策」で対応することも現実的になってきます。守るべき浸水深(防護ライン)を明確にし、その浸水深に応じソフト対策およびハード対策を適切に実施していくことが、水災リスクを低減するために求められる合理的アプローチと考えられます。

AIを活用したリスクマネジメント】

洪水・土砂災害などの自然災害リスクは、サプライチェーンや金融・地政学要因と絡み合い「複合リスク」として顕在化しています。しかし多くの企業では、全社のERMは定期レポート中心で、現場は機能別データを個別に監視するにとどまり、横断的に結び付けて意思決定する仕組みが不足しています。結果として、現場責任者が情報統合から危機時のリカバリーまで抱え込み、想定外のオペレーショナル・サプライズが起きやすいギャップが残ります。

(1)予防・緩和・復旧の各段階をつなぐAIプラットフォーム

このギャップを埋める有力案が、「Context Engine」とエージェント型AIを組み合わせたプラットフォームです。要点は①社内(生産・在庫・保全・物流・人員等)と社外(気象・災害、交通・港湾、ニュース等)データの統合、②RAG+エージェントによるリスクと連鎖ボトルネックのシナリオ提示、③ERM/BCPの前提と最新データの突合による前提崩れの自動検知・アラートです。これにより「Emerging Failure Modes」を早期に捉え、事後対応から予防へ転換できます。

AI活用の価値は「気づき」だけでなく、具体的な「行動」まで落とし込める点にあります。設計の観点は、予防・緩和・復旧の3段階を一貫して支援することです。

  1. 予防(Prevention)

極端降雨予測と道路・斜面の脆弱性を組み合わせ、事前に高リスク区間を特定し、生産・輸送計画の代替案をシミュレーションして提示します。

  1. 緩和(Mitigation)

災害発生時は、リアルタイムデータでクリティカル拠点・設備を可視化し、過去事例から有効な緊急措置(迂回・代替生産等)を提案します。

  1. 復旧(Recovery)

被害と波及影響を定量化して復旧優先順位と必要リソースを示し、外部ベンダー/専門家の候補まで紐づけて実行順序を支援します。

AIは単なる予測にとどまらず、防災・減災のライフサイクル全体をつなぐ意思決定基盤として機能し得ます。

 

(2)既存技術を組み合わせた実装可能性とシンガポールでの開発環境

AIを用いた災害・事業継続リスクマネジメントは、既存のデータ基盤とAI技術の組み合わせで実装可能な段階にあります。なかでもシンガポールは、インフラ・制度・人材・エコシステムが揃い、東南アジア向けの開発拠点として優位性が高いことが各種レポートで示されています。2026年予算でもAI人材育成・産業支援が強化され、日本との防災協力を含む高信頼領域での「責任あるAI」実装を後押ししています。加えて経済開発庁(EDB)等により、既存企業の新規事業立ち上げ(市場検証〜事業計画〜資金支援)を制度面から加速できる点も特徴です。

洪水・土砂災害×サプライチェーン×事業継続×AIのような複合ソリューションは、多国データの取り扱い、ガバナンス、高速計算基盤、国際人材、中立的クラウド環境が同時に必要です。これらの条件を満たすシンガポールを拠点に、政府支援も活用して日本企業が開発を手掛け、そしてエージェント導入の機運が高まっている東南アジアへ展開する道筋は現実的です。

レジリエンス強化に向けた協力機会:日本企業に期待される役割

東南アジアにおける洪水・土砂災害リスクの高まりと、AI・データ基盤の進展を踏まえると、日本企業には次のようなビジネス機会と戦略的示唆があると考えられます。

1.自社グループの災害レジリエンス強化

まずは自社の工場・倉庫・物流ネットワークに対して、AIを活用したマルチハザード分析と「Emerging Failure Modes」の可視化を行い、社内での成功事例・ノウハウを蓄積します。

2.顧客企業へのソリューション提供

インフラ・製造・物流・不動産・農業など、災害リスクに曝露した顧客に対し、ハザードマップ・リスクマップ、IoT/テレマティクスなどの「個別ソリューション」から、AIによるシナリオ分析を組み合わせた「リスクマネジメントプラットフォーム」として提供します。

3.保険・金融との連携

AIツールで可視化されたリスク情報をもとに、保険・再保険・パラメトリック保険等と連携し、「リスク削減行動を取るほど条件が良くなる」商品設計やインセンティブ設計を検討します。

 

日本企業は、河川・道路分野でのハザードマップ作成、降雨・斜面モニタリング、3D地形解析、衛星データ活用などの技術に強みを持っており、現地機関と連携して「見える化」と「意思決定支援」を一体的に提供することで、防災投資・民間投資の質向上に貢献し得ます。

また、日本では既に、道路・橋梁の点検データやセンサー情報を活用したアセットマネジメントが進展しており、こうした手法を東南アジアの実情に合わせて応用することで、①災害時の通行止めリスク低減、②長期的な維持管理費の最適化、③民間物流・製造業のBCP強化に寄与することが期待されます。

こうした取り組みは、東南アジアの災害レジリエンス向上に貢献するとともに、自社の事業継続性を高め、新たな収益機会を創出する可能性を秘めています。

おわりに

レジリエンス投資は「コスト」から「成長の基盤」へと位置づけられます。UNDRR「GAR2025」2は、災害による資産損失3,140億ドルを防ぐことができれば、その2倍以上のウェルビーイング(生活の質)向上効果が得られると試算し、「レジリエンスへの投資は、費用ではなく、将来の成長と安定への投資である」と結論づけています。東南アジア、とりわけマレーシアやインドネシア、ベトナムなどでは、洪水・土砂災害リスクの激甚化と同時に、経済成長やインフラ整備の進展により、災害対策に投資できる環境が徐々に整いつつあります。公共事業だけでなく、電力・鉄道・産業集積地・農業・観光など多様なセクターで、防災・減災に関する具体的なニーズが顕在化しつつあります。日本企業が持つ技術・経験を、現地の制度・データ・人材と結びつけ、「リスクの見える化」「予防保全」「リスク移転」の三位一体でレジリエンスを高めていくことは、地域社会の安全向上と持続可能な成長に貢献すると同時に、中長期的なビジネス機会にもつながると考えられます。今後、東南アジアにおける災害リスクは、気候変動の進展とともにさらに複雑化すると見込まれます。企業・政府・研究機関が連携し、「Resilience Pays」の理念を共有しながら、防災・減災分野での協力を一層深化させていくことが期待されます。

<訳注>

1 Natural Disaster Databook 2024 An Analytical Overview, Asian Disaster Reduction Center

2 Global Assessment Report on Disaster Risk Reduction, Resilience Pays: Financing and Investing for our Future, United Nations Office for Disaster Risk Reduction

3 Swiss Re Institute: Press releases – 29 Apr 2025, 06 Aug 2025 and 16 Dec 2025

4 StrategicRISK (www.strategic-risk-global.com)

5 2025 Global Enterprise Resilience Report: Progress during uncertain times, Everbridge infiniteblue

目次

<特集>


<着任のご挨拶>


執筆者経歴

鵜澤 邦泰(うざわ くにひろ)

大学卒業後、日本工営㈱に入社。2009年から2015年まで、中南米地域統括拠点のパナマに駐在。2019年からシンガポールに赴任し、スタートアップへの出資を含む東南アジアの新規事業開発(主にデジタル技術の活用)、海外グループ会社の人材開発に携わる。

uzawa-kn@n-koei.jp

 

和田 隆司(わだ たかし)

大学卒業後、東京海上火災保険㈱に入社。主に火災爆発・自然災害のプロパティーリスクエンジニアリング業務に従事。2025年4月よりTokio Marine Asiaにて東南アジア・南アジア域のリスクエンジニアリング業務を担当。

t.wada@tokiomarineasia.com

シンガポール日本商工会議所

6 Shenton Way #17-11 OUE Downtown 2 Singapore 068809
Tel : (65) 6221-0541 Email : info@jcci.org.sg

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