2026年8月号(No.669)バックナンバー

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スキルベースの組織人材改革―先進企業に学ぶ生産性の高め方

NOMURA RESEARCH INSTITUTE SINGAPORE PTE. LTD.
Principal

諏訪 亮一

はじめに

生成AIの急速な進化、地政学的な分断、人口動態の変化―外部環境がかつてない速さで変化し、ビジネスモデルの転換が求められるなかで、企業は「求められる人材」を捉え直さざるを得なくなっている。問われるのは、もはや特定の職務や肩書きではなく、変化に応じて組み替えられる「スキル」そのものである。

シンガポール政府もこの変化に俊敏に対応している。ウォン首相は「Budget 2026」演説で、同国の優位性は「最大級のフロンティアモデルを自前で構築することにあるのではなく、AIを効果的に、責任を持って、迅速に実装することにある」と述べた。天然資源に乏しく、高齢化と労働逼迫という制約を抱えるからこそ、人材とスキルを起点にAIを社会実装する、という国家戦略である。首相を議長とする国家AI評議会を司令塔に、先進製造・物流・金融・医療の4分野で「National AI Missions」を立ち上げ、規制サンドボックスやデータ・計算資源を整備する。有力企業を集中支援する「Champions of AI」で各業界の先行モデルを育てる。個人向けには、生涯学び直しの国家制度「スキルズフューチャー」を土台に、全就業者のAIスキルの底上げを国家目標に据える。学んだ知識を実際のツールで試せるよう、AI講座の修了者には生成AIツールを一定期間無償で提供する。

日本でも、経済産業省が2026年から労働市場全体のスキル需給の可視化に着手している。同省の2040年就業構造推計によれば、事務職・文系人材が大幅に余る一方、AI・ロボット等を使いこなす専門・現場・理系人材が不足すると見込む。ミスマッチの解消には、労働需給をスキル単位で可視化することが欠かせないという問題意識を持つ。

このように日星の政府いずれも、スキルを起点とした人材政策へ舵を切りつつある。本稿は、シンガポールの企業実践を日本企業の「先行モデル」として読み解く。

AIエージェント時代へ ― 人とAIをどう組み合わせるか

自律的にタスクを実行するAIエージェントが普及し、AIが単なる道具ではなく「働き手」として見做され始めている。米国のモデルナ社は人事部門とIT部門を統合し、従業員とAIエージェントを一体で捉える運営を試みる。日本でも、2026年6月、メルカリがCTOにCHROとCAIO(最高AI責任者)を兼務させる体制に移行し、働き方や組織構造をAI前提で見直すと宣言した。同日、SansanもCHROとAI変革責任者の兼務を発表している。AIと人事は切り離せない、という認識が企業経営に及び始めた。

もっとも、人とAIを一つのリソースプールとして本格的に運用できている企業は、まだない。だが方向性は明確だ。職務を起点に人員を割り当てる発想から、タスクごとに分解して必要なスキルを定義し、人とAIを組み合わせて最適化する発想へ――この「ワーク・プランニング」への移行が、新たな競争力確保の軸になりつつある。AIツールを入れてもコストが下がらないのは、組織や人員を固定化したまま、ツールを足し算しているからだ。リソース・コストを最適化し、生産性を高めて競争に勝つために、最初のステージとしてスキルの定義と可視化に取り組む必要がある。

スキルベース組織の成熟度モデル

人とAIを組み合わせて最適化するには、その前に「スキルとは何か」を自社で定義しなければならない。ここでいうスキルとは、業務を遂行するうえで必要な具体的な能力や知識である。今後求められる職務やタスクを十分実行するために必要なスキルを、社内共通の定義と粒度で言語化する。この「どのスキルを、どんな粒度で定義するか」という設計こそが難所であり、ここが曖昧なままでは可視化も配置も機能しない。

生成AIの進化により、従来は人手で膨大な工数をかけていたスキル定義と可視化作業を大幅に高度化・効率化できるようになった。例えば、職務記述書、業務分掌、業務手順書、といった散在する情報やインタビューから必要なスキルを抽出し共通の言葉への落とし込みために従来は人手で膨大な時間をかけて整理していたが、これらをインプットを処理して、標準的なスキル体系(タクソノミー)と突き合わせて、生成AIが企業固有のスキル一覧の候補を短期間で提示できるようになった。人材のスキルレベルの可視化も、経歴、経験、資格・研修履歴、行動データ、評価などの各種の社内情報から本人のスキルレベルを読み取り、生成AIが判定することができる。このように生成AIを活用してスキルの定義・可視化に取り組む日本企業は大幅に増加している。

スキルベース組織の成熟度は、おおむね3ステージで定義できる(図1)。ステージ1は「スキル可視化」で、定義したスキルをもとに社員のスキル保有状況を可視化し、組織として見える化する。このステージではまだ生産性の向上は得られない。次にステージ2は「スキルベースの人材配置」で、可視化したスキルを起点に社内で人を動的に配置する。人材と業務をスキルでマッチする「社内人材市場」の構築がその典型例だ。人的資本の最適配置により生産性が向上する。そして、ステージ3が「人とAIの最適化(ワーク・プランニング)」である。業務をタスク単位で分解し、人とAIを同じ土俵で割り当てる段階である。ステージ3に到達することで競争力と生産性が飛躍的に向上するが、前述のとおり本格運用に至っている企業はまだなく、先進企業はこのステージ3を目指して足元取り組んでいる。

ワーク・プランニングを最適化する枠組み ― 4Bフレームワーク

業務にどのように人とAIを割り当てるべきか(ワーク・プランニング)を検討する際に、「どのスキルをどのように確保するか」を判断する物差しとして「4B(Build/Buy/Borrow/Bot) 」というフレームワークが活用できる。

  • Build(育てる):社員のスキルを開発し、社内で内製化する。
  • Buy(採用する):必要なスキルを持つ人材を外部から採用する。
  • Borrow(借りる):社内の人材融通や業務委託、外部パートナーなど、社内外から柔軟にリソースを調達する。
  • Bot(自動化する):AIエージェントや自動化ツールに業務を担わせる。

ポイントは、スキルを軸として最適なワークフォースを組み合わせる発想だ。特にAIエージェントが加わったことで、業務の一部をAIエージェントが担えるようになったことで、生産性を飛躍的に高めることができる。また、同時に、従来型の人材マネジメント(採用・育成・配置・評価の各人事プロセス)のあり方自体についても再検討を迫られているといえる。

シンガポールにおける先進企業の事例

それでは、スキルベースの組織人材マネジメントにどのように取り組んでいるかを、シンガポールで活動する2社(DBS/シュナイダー)を事例をもとに紐解いていく。

1DBS

シンガポールを代表する金融機関のDBSは、独自のAIプラットフォーム「iGrow」でスキルを可視化している。iGrowは、各社員の職歴・研修履歴・保有スキルをもとに、最適な社内公募や学習講座をAIが推薦する仕組みだ。

DBSは、「4B」のコンセプトを巧みに組み合わせていることが読み取れる。生成AIの普及を受け、前CEOのグプタ氏は2025年、今後3年で約4,000人分の派遣・契約業務を「自然減」で縮小する一方、AI関連の高付加価値ロールを約1,000新設する方針を示した。定型業務をAIに委ね、人はより付加価値の高い仕事へ移す、という配分の組み替えである。正社員は削減の対象とせず、約13,000人をリスキリング対象に定め、すでに1万人超が学習を始めている。iGrowに加え、生成AIコーチング「iCoach」を全社員に開放し、24時間いつでもキャリア助言を得られるようにするなど、Build(育成)面でも手厚く支える。外部からのBuy(採用)はAIで代替しにくい高度領域に絞り、日常的な人材の融通はiGrowを介した社内異動(Borrow)でまかなう。

現CEOのタン氏は、就任時に取締役会から「CEOの仕事すらAIに代替されうる」と告げられた逸話を紹介する。DBSの要諦は、人を減らすことよりも役割をAI時代に作り替えることにある。AIを積極活用し、「4B」のコンセプトに適合する施策に取り組んでいる。

2)シュナイダーエレクトリック

製造業のシュナイダーエレクトリックは、離職者の約半数が「社内に成長機会が見えない」ことを退職理由に挙げていたことがきっかけとして、AIを用いた社内人材市場「オープン・タレント・マーケット(OTM)」を構築・運用している。社員がスキルを登録すると、AIが社内ポスト・短時間プロジェクト・メンターを、意向とスキルに基づいて推薦する。評価軸を「スキル」へ転換し、3年以内の異動制限や上司承認も撤廃した。
結果として、外部採用や外部委託に頼っていた業務を、社内の空き時間を持つ人材で賄えるようになった。グローバルでは、社員の約9割がOTMを利用し、プロジェクト5,700件・メンターシップ12,000件を社内でマッチング、生産性向上と採用費削減の効果は1,500万米ドルを超えるという。可視化したスキルで本人の意向に応じて社内に最適配置して生産性を高めるスキルベースの人材配置(ステージ2)の実装例である。

2社に共通するのは、AIを活用して、定義・可視化したスキルを、業務やプロジェクトに対する人の再配置に手早く結びつけている点だ。スキルの定義・可視化と、流動的な人的資本の再配分こそが、生産性向上につながる。日系企業がまず取り組むべきは、この地道な仕組みづくりである。

おわりに

AI時代の生産性は、ツール選びではなく人材ポートフォリオの組み換えから生まれる。着手の順序は明確だ。まず自社が求めるスキルを定義し、可視化する(ステージ1)。次にスキルを起点に社内で人を動かす(ステージ2)。4Bフレームワークも活用して人とAIの配分を設計していく(ステージ3)。ステージ3を本格運用できている企業はまだないが、ここまで到達できると圧倒的な競争優位性を実現できる。だからこそ早く取り組む意義がある。

日本企業にもスキルの可視化の取り組みは動き始めたが、運用に至るまでにはカルチャー変革を含む多くの課題に直面する。先を走る実験場としてのシンガポールの実践例は、有用な先行モデルとなる。「スキルベース」に唯一の正解はなく、どの領域で進めるかは自社の事業特性や課題に応じて変わるため、その選択自体が経営判断となるものの、急激に変化する3~5年後の経営環境を見据えて検討することをお勧めしたい。

<注記・出所>

・World Economic Forum「Future of Jobs Report 2025」
・ウォン首相の発言およびシンガポールのAI戦略・予算に関する記述は、シンガポール財務省「Budget 2026」演説および関連資料に基づく。
・経済産業省の取り組みや記述は、同省の公表資料に基づく。
・モデルナ、メルカリ、Sansanに関する記述は、各社の公表資料および報道に基づく。
・DBSおよびシュナイダーエレクトリックに関する記述は、各社の公表資料及び報道に基づく。

目次

<特集>


<編集後記>


執筆者経歴

諏訪 亮一(すわ りょういち)

金融庁、米系戦略・組織人事ファームを経て、NRIシンガポールに入社。国内外の幅広い業界におけるグローバル競争力の強化やトランスフォーメーションに関する数多くのプロジェクトに参画。近年は、日本および東南アジア地域を対象に、組織・人事改革、AI活用、人事制度設計、サクセッション/タレントマネジメントなどを支援。

ryoichi.suwa@nrisg.com

シンガポール日本商工会議所

6 Shenton Way #17-11 OUE Downtown 2 Singapore 068809
Tel : (65) 6221-0541 Email : info@jcci.org.sg

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