2026年4月号(No.665)バックナンバー

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東南アジアの保険業界におけるデジタル流通の進化と今後の方向性

ABEAM CONSULTING (SINGAPORE) PTE. LTD.
Director, Head of Insurance sector in Southeast Asia

森 厚之

1.はじめに

東南アジアでは、一人当たりGDPおよび可処分所得の向上を背景に、保険に対する需要が着実に拡大している。加えて、インターネットやスマートフォンの普及により、消費者の購買行動は急速にデジタルへと移行している。

こうした環境変化を受け、保険会社にとってデジタルチャネルは重要な成長手段となり、消費者にとっても利便性の高い加入手段として存在感を高めている。一方で、商品理解の難しさや心理的な不安といった課題は依然として残されている。

本稿では、東南アジアの保険業界におけるデジタル流通の現状と課題を整理した上で、今後の方向性について考察する。

2.東南アジア保険市場の構造的成長余地とデジタル保険流通への期待

東南アジアの保険市場は、経済成長と所得水準の上昇を背景に、中長期的に高い成長余地を有する市場である。一方で、保険浸透率は国ごとに大きな差があり、多くの市場で未充足の保険需要(Protection Gap)が依然として存在する。こうした構造的な成長余地を取り込む手段として、デジタルを活用した保険流通への期待が高まっている。

 

マクロ経済成長を背景に、保険需要は中長期的に拡大が見込まれる

IMF(1) の見通しでは、東南アジア主要国では、GDPおよび一人当たり所得が着実に増加しており、医療費負担、所得保障、資産保全といったリスクへの備えとして、保険需要は段階的に拡大すると見込まれる。世界経済全体の成長が緩やかに減速する中にあっても、新興・途上国は先進国を上回る成長率を維持する構図が示されており、東南アジアは中長期的な成長市場として引き続き注目されている。

 

保険浸透率には国ごとの差が大きく、未充足需要が成長機会となっている

保険の普及状況を見ると、東南アジアでは国ごとに大きな差が存在する。ASEAN主要国の中でも、シンガポールは比較的高い保険浸透率を示す一方、インドネシアやフィリピンなど多くの国では依然として低位にとどまっている。日本や欧米の先進国と比較すると、生命保険・損害保険ともに普及余地が大きく、保険市場全体としては未充足の需要が残されている。この「Protection Gap」こそが、東南アジア保険市場の構造的な成長余地を規定している。 Allianz (2) のデータ(2024年)によれば、生命保険の浸透率はシンガポールが6.6%であるのに対し、インドネシアは0.8%、フィリピンは1.2%と、多くの市場で依然として低い水準にある。

デジタル保険流通は、未加入層への有効なアプローチ手段となり得る

こうした未充足需要を取り込む手段として注目されているのが、デジタルを活用した保険流通である。デジタルチャネルは、従来の対面チャネルでは十分にリーチできなかった層に対して、低コストかつ広範にアプローチできる点で優位性を持つ。Google、Temasek等による「e‑Conomy SEA」 (3)では、ASEAN主要6か国を対象としたデジタル保険市場(保険料ベース)が、2024年の約2.4億USDから2030年には約7.5億USD規模へ拡大する可能性が示されている。年平均成長率(CAGR)は約20%と見込まれており、デジタルチャネルを通じた保険流通は、同地域における保険市場拡大の重要なドライバーとして位置づけられつつある。

3.デジタル保険流通モデルの戦略的整理

D2CB2B2Cの位置づけと競争軸

デジタル保険流通の本質は、単なる販売チャネルのオンライン化ではなく、「顧客接点の設計」と「価値創出プロセスの再構築」にある。東南アジアにおけるデジタル保険流通は、大きくD2C(Direct‑to‑Consumer)とB2B2C(Business‑to‑Business‑to‑Consumer)の二つのモデルに整理でき、企業は自社の戦略目的に応じて、これらを使い分け、あるいは組み合わせて展開している。

D2C:顧客接点とデータ主導権を重視するモデル

D2Cは、保険会社が自社のWebサイトやモバイルアプリを通じて、見積、申込、契約管理、請求といった一連のプロセスを顧客に直接提供するモデルである。本モデルの最大の特徴は、顧客接点および顧客データを自社で一貫して管理できる点にある。戦略的観点では、D2Cはブランド構築、顧客理解の深化、商品・価格・UXの迅速な改善といった点で優位性を持つ。一方で、集客コストの負担や、認知獲得に時間を要する点は構造的な課題となりやすい。そのため、D2Cは既存顧客基盤を有する企業や、シンプルで標準化された商品を軸に、効率的なデジタル獲得を狙うケースと親和性が高い。

 

B2B2C:顧客基盤を活用したスケール拡大型モデル

これに対しB2B2Cは、銀行、EC、モビリティ、プラットフォーム企業など、既に顧客接点を有するパートナーを通じて保険を提供するモデルである。保険会社にとっては、短期間での顧客リーチ拡大や、利用シーンに紐づいた提案が可能となる点が戦略的なメリットとなる。特に東南アジアでは、日常的に利用されるデジタルサービスが生活インフラとして定着しており、保険を「必要なタイミングで提示する」B2B2Cモデルは、未加入層へのアプローチ手段として有効性が高い。一方で、顧客接点の主導権はパートナー側にあり、手数料設計、UX設計、データ利用範囲などを巡る調整が競争力に直結する。

 

Embedded InsuranceB2B2Cの高度化形態

B2B2Cモデルの発展形として、近年注目を集めているのが Embedded Insurance である。このモデルの有効性は、東南アジアの複数市場で実証されつつある。これは、保険を単独の商品として販売するのではなく、移動、購買、旅行といった主たるサービスの利用プロセスに組み込み、顧客の行動文脈に即して提供する流通モデルである。Embedded Insurance では、保険加入を意識させない自然な導線設計や、既存サービスとのシームレスな連携が競争力の源泉となる。そのため、従来の販売チャネルや業務プロセスに依存せず、デジタル前提で商品・オペレーションを設計できる新興プレーヤーにとって、有力な成長戦略となり得る。

具体的な事例として、インドネシアではデジタル主導型の保険会社である Oona Insurance が、デジタル決済サービス GoPay と連携した保険提供を行っている(4)。アプリ内に手頃な重大疾病保険や健康保険への加入導線を組み込むことで、3,000万人を超えるユーザー基盤へのアクセスを実現している。なお、Oona Insurance および GoPay を提供する GoTo グループはいずれも PEファンドであるWarburg Pincus の支援を受けており、投資先企業間の連携を通じたエコシステム戦略の一例としても位置づけられる。

この事例が示すように、Embedded Insurance は短期・小口・定型的な商品との親和性が高く、加入プロセスを大幅に簡素化できる点に強みを持つ。一方で、説明責任や同意取得、保険金請求時のサポートといったガバナンス設計が、顧客信頼および持続的な事業運営の観点から重要となる。戦略的には、「どこまでをパートナーに委ね、どこを保険会社が担うのか」という役割分担を明確に設計できるかが、成否を左右する要因となる。

 

戦略的示唆:モデル選択は目的起点で設計する

D2CとB2B2Cは優劣の関係ではなく、企業の戦略目的によって選択・組み合わせるべき手段である。顧客データの蓄積や中長期的な関係構築を重視する場合はD2Cが有効であり、スピードとスケールを重視する場合はB2B2CやEmbedded Insuranceが有力な選択肢となる。東南アジアにおけるデジタル保険流通では、単一モデルに固執するのではなく、商品特性、市場成熟度、規制環境を踏まえたポートフォリオ型のチャネル戦略が、持続的な成長に繋がると考えられる。

4.デジタル保険流通を支える基盤と普及に向けた主要課題

東南アジアにおけるデジタル保険流通の普及は、①デジタルインフラの整備状況、②消費者の受容性、③商品特性と顧客体験設計の三つの要因によって左右される。基盤環境は着実に整いつつあるものの、市場や商品領域によって普及の進展には差が見られ、構造的な課題も依然として残されている。図表3は、ASEAN主要6か国におけるインターネット普及率、スマートフォン保有率、デジタル決済利用率を整理したものである。

①デジタルインフラは整備が進展する一方、市場間の成熟度には差がある

東南アジアでは、インターネット接続、スマートフォン、デジタル決済といった基盤インフラが急速に普及しており、オンラインを前提とした金融サービスの利用環境は概ね整いつつある。一方で、その成熟度には国ごとの差が存在する。特にデジタル決済の利用率を見ると、シンガポール、マレーシア、タイでは高水準にあるのに対し、インドネシアやフィリピンでは相対的に低位にとどまっている。こうした基盤整備の差異は、各市場におけるデジタル保険流通の普及スピードにも影響を与えている。

 

消費者のオンライン受容性は高まりつつあるが、理解と安心感の確保が課題

デジタルインフラの拡大と並行して、保険購入におけるオンラインチャネルへの受容性も高まりつつある。損害保険分野では、オンライン購入を選好する消費者が一定割合に達しており、今後さらなる拡大が見込まれる。Swiss Reの調査(7)では、6か国すべての消費者の40%以上が個人向け保険をオンラインで購入することを希望していることがわかっている。

他方で、オンライン購入に対しては、約款や保険用語の理解の難しさ、十分な説明を受けられないことへの不安、保険金請求時のサポートに関する懸念といった阻害要因も指摘されている。デジタル保険流通の普及には、利便性の向上に加え、消費者の理解と安心感を支える仕組みの構築が不可欠である。

 

商品特性によってデジタルとの親和性は大きく異なる

商品領域によって、デジタル保険流通との親和性には明確な差が見られる。旅行保険に代表される短期・小口・定型的な商品はオンライン化が進みやすく、デジタルチャネルとの相性が高い。

一方、長期・高額で保障内容が複雑な商品では、十分な説明や理解支援が求められ、デジタルのみでの完結には課題が残る。今後の普及に向けては、商品特性に応じた販売プロセス設計と、顧客体験全体を見据えたサービス設計が重要となる。

5.政策・規制に見るデジタル保険流通の国別差異

東南アジアにおけるデジタル保険流通の展開は、各国の政策・規制環境によって大きく左右される。特に、オンライン販売における説明責任、個人情報の取扱い、パートナー連携時の責任分解といった論点は、国ごとに制度整備の進展度が異なる。デジタル保険流通を持続的に拡大していくためには、各国の制度環境を前提とした流通モデルおよびガバナンス設計が不可欠である。

シンガポール:制度整備が進んだデジタル保険流通の先行市場

シンガポールは、保険浸透率が高く市場成熟度の高い国であると同時に、デジタル保険流通に関する制度整備が比較的早期から進められてきた先行市場である。規制当局(MAS)は、オンラインでの生命保険販売に関するガイドライン(8)を明確に示しており、顧客保護や販売プロセスに関する要件が整理されている。加えて、Regulatory Sandbox (9) を通じて新たなビジネスモデルの実証環境も提供されており、保険会社にとってデジタルチャネルの高度化や新たな流通モデルに取り組みやすい環境が整っている。こうした制度環境の下では、D2C型の販売やデジタルチャネルを軸とした高度化戦略を進めやすい点が特徴である。

インドネシア:金融包摂を背景に制度整備が進む成長市場

インドネシアは、保険浸透率が低く、金融包摂が重要な政策課題とされる成長市場である。政府および規制当局(OJK)は、デジタル金融サービスを活用した金融アクセスの拡大を推進しており、デジタル保険流通に関連する制度整備も段階的に進められている。オンラインで金融商品を比較・紹介するプラットフォームに関する規制(10)の整備や、Regulatory Sandbox (11)の導入により、プラットフォームを活用したB2B2C型の流通モデルを展開しやすい環境が形成されつつある。

一方で、市場の成熟度や消費者理解の観点からは、商品設計や顧客保護を含めた運用面での慎重な対応が求められる。

ベトナム:制度整備が発展途上にある市場

ベトナムでは、保険市場の拡大やデジタル化の進展を背景に、電子取引やデータ管理に関する制度整備が進められている。保険契約においても、既存の法制度の枠組みの中で電子的手続が可能となっている。

一方、デジタル保険流通に特化した明確な制度やガイドラインは限定的であり、実務上は既存の保険規制や電子取引制度との整合性を個別に確認しながら対応する必要がある。制度の不確実性を踏まえ、段階的かつ慎重なアプローチが求められる市場と位置づけられる。

 

戦略的示唆:制度環境を前提とした流通モデル設計が不可欠

以上のように、東南アジアにおけるデジタル保険流通の政策・規制環境は国ごとに大きく異なる。保険会社やパートナー企業が各国でデジタル流通モデルを展開する際には、オンライン販売の要件、パートナーとの役割分担、顧客保護に関するルールなどを踏まえたガバナンス設計が重要となる。単一の成功モデルを横展開するのではなく、各国の制度環境に応じた柔軟な流通モデル設計が、持続的な成長に繋がると考えられる。

6.おわりに 今後の方向性と企業への示唆

本稿では、東南アジアの保険市場におけるデジタル流通の動向を、市場環境、流通モデル、基盤条件、政策・規制の観点から整理した。東南アジアは中長期的な保険需要の拡大が見込まれる一方、保険浸透率は依然として低く、未加入層へのアプローチが成長の鍵となっている。デジタル保険流通は、その有効な手段として期待されるが、普及の在り方は市場環境や制度条件によって大きく左右される。

こうした状況を踏まえると、東南アジアでデジタル保険流通を展開する企業にとって、特に次の三つの視点が重要となる。

商品特性を踏まえた設計と顧客体験の最適化

デジタル保険流通は、短期・小口・定型的な商品との親和性が高い一方、複雑な補償設計を伴う商品では理解支援や説明設計が不可欠となる。商品設計と顧客体験を一体で捉え、デジタルならではの利便性と安心感を両立させることが、普及拡大の前提条件となる。

パートナーとのエコシステムを前提とした戦略構築

B2B2CやEmbedded Insuranceの拡大により、銀行、EC、モビリティ、プラットフォーム企業などとの連携は、デジタル保険流通における重要な競争軸となっている。持続的なビジネスモデルを構築するためには、データ活用、収益配分、顧客接点の主導権を含めたパートナー戦略を明確に設計することが求められる。

国別制度環境を前提としたガバナンス設計

東南アジアでは、デジタル保険流通に関する制度整備の進展度が国ごとに異なる。企業は、オンライン販売要件や顧客保護ルール、パートナー連携時の責任分解などについて、各国制度を前提としたガバナンス設計を行う必要がある。単一モデルの横展開ではなく、制度環境に応じた柔軟なアプローチが重要となる。

 

東南アジアにおけるデジタル保険流通は、今後も保険市場拡大の重要なドライバーであり続けると考えられる。企業にとっては、市場環境や制度差異を的確に捉えつつ、顧客視点に立ったサービス設計を進めることが、持続的な成長を実現する上で重要な要素となる。

<訳注>

1.International Monetary Fund https://www.imf.org/external/datamapper/

2.Allianz “Allianz Global Insurance Report 2025: Rising demand for protection”
https://www.allianz-trade.com/en_global/news-insights/economic-insights/allianz-global-insurance-report-2025-rising-demand-protection.html

3.Google, Temasek, Bain & Company “e‑Conomy SEA 2024”
https://www.bain.com/insights/e-conomy-sea-2024/

4. Oona Insurance “Oona Insurance Partners with GoPay”
https://myoona.id/en/news-room/press-release/oona-insurance-gopay-join-forces/#:~:text=Oona%20Insurance%20partners%20with%20GoPay%20to%20provide%20affordable,packages%20starting%20from%20Rp5%2C000%20for%20critical%20illness%20coverage.

5. World Bank “Individuals using the Internet (% of population)” https://data.worldbank.org/indicator/IT.NET.USER.ZS

6. World Bank “The Global Findex 2025”
https://www.worldbank.org/en/publication/globalfindex

7. Swiss Re “Digital adoption in personal P&C insurance in south and southeast Asia”
https://www.swissre.com/institute/research/topics-and-risk-dialogues/digital-business-model-and-cyber-risk/digital-adoption-in-personal-p-c-insurance-in-india-and-southeast-asia.html

8. Monetary Authority of Singapore “Guidelines on the Online Distribution of Life Policies with No Advice [ID 01/17]”
https://www.mas.gov.sg/regulation/guidelines/guidelines-on-the-online-distribution-of-life-policies-with-no-advice

9. Monetary Authority of Singapore (MAS) “Overview of Regulatory Sandbox”
https://www.mas.gov.sg/development/fintech/regulatory-sandbox

10. Otoritas Jasa Keuangan (OJK) “PRESS RELEASE OJK ISSUES REGULATION ON THE OPERATION OF FINANCIAL SERVICES AGGREGATORS”
https://ojk.go.id/en/berita-dan-kegiatan/siaran-pers/Pages/OJK-Issues-Regulation-on-the-Operation-of-Financial-Services-Aggregators.aspx

11. Otoritas Jasa Keuangan (OJK) “Regulatory Sandbox”
https://ojk.go.id/en/fungsi-utama/itsk/regulatory-sandbox/Default.aspx

目次

<特集>


<編集後記>


執筆者経歴

約20年にわたり保険業界に携わり、日本および東南アジアにおいて戦略策定から実行支援まで幅広いコンサルティング実績を有する。東京海上日動火災保険での商品開発業務を経て、複数のコンサルティングファームを経験後、アビームコンサルティングに参画。現在はシンガポールを拠点に、東南アジアの保険業界向けビジネスを統括し、デジタルを起点とした事業戦略の策定や業務・顧客接点の高度化に関する変革支援に従事している。

atmori@abeam.com

シンガポール日本商工会議所

6 Shenton Way #17-11 OUE Downtown 2 Singapore 068809
Tel : (65) 6221-0541 Email : info@jcci.org.sg

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