2025年12月号(No.661)バックナンバー

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戦略的な知的財産の活用に向けて

JETRO SINGAPORE
Director

西尾 元宏

はじめに

「知的財産」(以下「知財」)とは、知的創作活動の成果に付随する経済的な価値を意味し、例えば特許権、商標権、著作権などが挙げられます。さらに顧客情報や業務におけるノウハウといった企業固有の知識(営業秘密)も知財の一部とされます。

この知財は、うまく活用することで他社には真似することのできない独自の価値を生み出し、市場における競争力の源泉として機能することが期待される一方で、自社の知財の不十分な管理や、他者の知財に対する理解の不足によっては、思いもよらないダメージを被ることもあります。

本稿では、知財の基本的な機能や役割を簡潔に整理するとともに、ASEAN地域を中心に最近のトピックをご紹介します。これらの内容が皆様のご活動に少しでも役立つことがあれば幸いです。

知財について

(1)知財の種類

知財の例を以下の表に挙げます。ここでは日本における法律・名称に基づいて紹介していますが、諸外国でも概ね同様のあるいは対応する制度が存在します。

表の一行目に記載する通り、知財には大きく分けて(a)「知的創作物についての権利」と、(b)「営業上の標識等についての権利」との2つのタイプがあります。前者は、知的創作の労に報い、さらなる創作を奨励するものであるのに対し、後者は特定の表示に結びついて蓄積された商業上の信用を保護するものという特徴があります。

また、表の左欄に記載する通り、(a)所定の機関に登録又は指定によって設定される権利と、(b)登録を要することなく発生する権利という観点で分類することもできます。前者は絶対的な独占権と呼ばれ、一旦登録又は指定がされると当該権利の対象は権利者の許諾なく他者が利用することができません。当該他者が登録や指定の事実を知らない場合であってもです。一方で、後者は相対的な独占権と呼ばれ、端的にいえば真似されない権利です。例えば先に創作された著作物を知らずに、たまたま同じ内容の著作物が後から創作された場合、後に創作された著作物は先の著作物についての著作権を侵害したことにはなりません。真似をしたわけではないからです。

(2)知財侵害に対する救済と刑事罰

知財の侵害に対しては、通常、以下の民事救済と刑事罰が用意されています。

・差止請求権    :侵害行為の停止(侵害品の廃棄等)

・損害賠償請求権  :侵害行為により被った損害の賠償

・信用回復措置請求権:侵害行為により失った信用の回復措置(謝罪広告等)

・不当利得返還請求権:侵害行為により侵害者が不当に得た利得の返還

・侵害罪      :侵害者に対する罰金刑や懲役刑

(3)知財の働き

上記(2)の内容からも理解されるように、知財の最も重要な働きは、他者の侵害行為(模倣等)を防止、排除することにあります。この働きにより、知財を他者による模倣品や類似品の参入に対する障壁とし、市場における自社製品の優越性を確保することができます。しかし、知財の働きはそれにとどまらず、派生して例えば以下の働きが期待されています。

①特徴、強みのアピール

特に知財が登録されたものである場合に、自社の技術や商品の強みを外部の関係者に対し明確に示すことができます。例えば特許された発明は、これまでに世の中に公開されていない新規な発明であると認められたものですので、その点を取引先や消費者に対してPRする根拠となります。特にイノベーションに基づく企業連携の活動が盛んなシンガポールでは、このような働きに基づく知財の活用がより期待できると考えられますし、私自身実際にこの目的で知財に言及される場面を何度も目にしてきています。

②外部関係者との関係作り

ビジネスパートナーや顧客との信頼関係を構築するためのツールとしての働きも期待されます。例えば、知財のライセンス契約はパートナー関係の一つの形態といえますし、このようなパートナー関係の締結を目指す活動(いわゆるビジネスマッチング等)において、知財が交渉の対象になります。顧客との関係でいえば、商標(ブランド名、マーク)が権利者により独占的に利用されることで、当該商標のもとで提供される商品やサービスに対する顧客の信頼が当該商標に蓄積され、ブランドと顧客とのつながりを担保する重要な役割を果たします。ブランドマークが付された高級ブランドの商品を消費者が安心して買うことができるのはその典型的な例といえます。

③社内知識の顕在化

知財は、社内の知識や信用を自社の強みとして明示的に管理するものと捉えることもできます。すなわち、ノウハウや暗黙知を組織知として管理し、財産として組織内で共有し継承する対象とする働きが期待されます。

また、知財の創作者(例えば特許技術の発明者)にとっては、自身の知的創作の成果が顕在化されることによって、自身のモチベーションアップにつながるという効果があるといわれています。

④経営戦略・事業戦略立案のサポート

近年「IPランドスケープ」という言葉を見聞きされたことはあるでしょうか。IP(Intellectual Property:知財)と、landscape(風景、景色)とを組み合わせた造語で、特許庁によれば「経営戦略又は事業戦略の立案に際し、経営・事業情報に知財情報を組込んだ分析を実施し、その分析結果(現状の俯瞰・将来展望等)を経営者・事業責任者と共有すること」と説明されています。対象分野における知財の取得状況を競合他社も含めて詳細に分析することにより、技術開発の状況や有望企業等の活動の変遷を整理し、その中での自社の強みや状況を客観的に分析し、経営や事業、研究開発等における戦略方針に関する意思決定に役立てることが有益であるといわれています。

日本国特許庁及びジェトロの活動

ここで、筆者のシンガポール及びASEANにおける活動についてご紹介します。筆者は日本国特許庁(JPO:Japan Patent Office)の特許審査官で、昨年6月にジェトロ・シンガポール事務所に出向赴任してきました。ASEANではほかにジェトロ・バンコク事務所にJPOからの出向者が在籍し、両事務所で分担してASEANの知財関連事項への対処にあたっています。主としてバンコク事務所がASEANの陸側(タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー)を担当し、シンガポール事務所が海側(シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ブルネイ、東ティモール)を担当する体制です。

主な業務は、ASEANにおける知財関連情報の収集・発信、現地における日系企業等の知財関連活動の支援です。日系企業の皆様で、知財に関連するお悩みや困りごとをお持ちの際には、是非我々にご相談いただきたいと思います。

また、JPOの地域アタッシェとして、各国知財庁を中心とした関係機関との協力関係を構築するとともに、JPOによる国際協力活動を支援することも重要な業務の一つとなります。

以下では我々の活動や、当地での知財を取り巻く状況の一端をご紹介します。

(1)ASEANにおけるJPOの取組

JPOは、日系企業のグローバルな事業活動支援のためにASEANへの知的財産協力を強化しています。2012年2月に開催した第1回日ASEAN特許庁長官会合では「東京知財声明」として、JPOがASEANの経済発展に向けた知的財産保護強化に協力していくことを確認しました。その後も日ASEAN特許庁長官会合を定期的に開催1し、JPOのASEANへの知財協力を毎年レビューしつつ協力プログラムを策定しています。具体的な協力内容としては、ASEAN地域における研修の提供を中心とする人材育成への協力、地域の課題に即した調査の実施・報告やセミナーの提供などが挙げられます。このような協力がJPOと各国との間でスムーズに進むよう、現地で必要な調整を行うことが我々地域アタッシェのミッションとなります。

また、JPOの当地における最近の活動例として、今年9月にシンガポールで開催した「JAPAN GREEN TECH SHOWCASE」2をご紹介します。この対面イベントでは、グリーン技術や気候テックに関する知財を有する日本のスタートアップ企業と、現地の事業会社、投資家、政府機関などから多くの参加者を得て、両者のマッチング・連携を促進することを目的に様々な交流が行われました。ここではまさに先に述べた知財の様々な働きが実感され、当地における知財活用の可能性を示すものとなりました。

 

(2)ASEANにおける知財活用に向けた動き(模倣品対策)

我々がASEAN地域で活動する日系企業の知財活動を支援していることは先に述べた通りですが、当該活動において最も大きな課題は模倣品への対策です。ここで「模倣品」とは知財権を侵害する物品のことを意味して用いています。

従前から模倣品流通の問題は、この地域でビジネスを展開する企業等を悩ませる課題の一つでした。このことを示す例として、米国通商代表部(USTR)が毎年公表するスペシャル301条報告書が挙げられます。この報告書は、1974年米国通商法182条に基づき、知的財産の保護等が不十分な国を特定するべく作成されているもので、インドネシアは近年継続して「優先監視国」に特定され、タイ、ベトナムは「監視国」に特定されています。各国ではこのような状況を改善するため、特に行政による模倣品の取締りが比較的有効に機能している例が多くみられます。そのため、日本の企業や専門家による数々の訪問団とともに、ASEAN各国の知財庁や警察、税関その他取締機関との意見交換や申し入れにより知財保護環境の改善を促してきました。

その活動の一つとしてIIPPF(国際知的財産保護フォーラム)3をご紹介します。これは、日本国外における知的財産権侵害問題の解決を志向する日本企業・団体の集まりで、ジェトロが事務局を務める官民協力フォーラムとなっています。地域や特定のテーマに焦点を当てる5つのプロジェクト(PJ)が活動しており、我々ジェトロ・シンガポールはASEANを含むアジア大洋州を活動領域とするアジア大洋州PJと密に連携しています。昨年度はIIPPFの訪問団としてタイ及びフィリピンを訪問し、知財庁や警察、税関等との意見交換を行ったほか、関係の行政職員を招いて真贋判定セミナー(真正品と贋物(模倣品)とを区別するための研修)を提供しました。今年はベトナムとインドネシアを訪問する予定です。

近年の模倣品対策における最も重要な観点は、ECプラットフォーム(オンラインショッピングサイト)の台頭とオンライン流通の拡大です。インターネット、スマートフォンの普及や、オンラインサービスの進展、各国の政策方針、さらにはコロナ禍などが相まって、オンライン市場での経済活動の規模が大きく進展していることはよく知られる通りです。これに伴い、当然ながら模倣品流通の舞台もオンラインの占める割合が増大しており、オンラインビジネス特有の新たな対策の重要性が高まっています。一つの対策として注目されるのはECプラットフォームとの連携です。昨年度ジェトロでは、ASEANとインドを対象とし、インターネット上の模倣品対策に関する調査報告書4を公表しました。この報告書では、各国におけるオンラインでの模倣品対策に必要な情報を網羅し、特に各ECプラットフォームが運用する削除申請手続き(模倣品出品情報の削除を求める手続き)などをまとめているので、ご関心のある方は是非ご参考にしていただければと思います。また、オンラインに関連する特徴的な取組みとして、タイ・フィリピンでのECプラットフォームに関連するMoU(協力の取決め)をご紹介します。各国において、政府の主導により知財権者とECプラットフォームとがMoUを締結し、密に連携することによってECプラットフォーム上からの模倣品の排除に取り組んでいます。このような動きはASEANの他の国にも広がる気配を見せており注目されるところです。

 

(3)東南アジア知財ネットワーク・シンガポールWG

東南アジア知財ネットワーク(SEAIPJ)5は、東南アジア地域における日系企業の知財活動を支援する場として2012年3月1日に発足しました。東南アジアにおける知財問題にご関心のある日系企業の方々をメンバーとし、知財分野での協業(当局との意見交換等)や情報収集・共有等の活動を実施しています。ジェトロは同ネットワークの事務局を務めています。

このSEAIPJにおいて、タイWG、ベトナムWG、シンガポールWGが具体的な活動を行っており、ジェトロ・シンガポールはシンガポールWGの事務局となります。シンガポールWGは、主にシンガポール駐在の日系企業担当者や知財専門家等が参加する定期的な会合により、当該地域における知財関連の情報共有の場となっています。ご関心のある方々は是非ご連絡をいただければと思います。お試し参加も大歓迎です。

知財に関する最近のトピック(AI関連)

最後に、ASEANも含め世界で話題のホットトピックとして、AIに関する事項に触れて本稿を終わりたいと思います。ご案内の通りAIは様々な分野において大きな変革をもたらしていますが、知財においても例外ではありません。AIが人間の知的活動を模してその一端を担うことが期待されていることを考えると、知的財産のあり方がAIにより大きな影響を受けることはむしろ当然といえるかもしれません。わが国でも平成15年に内閣に設置された知的財産戦略本部で開催されている「AI時代の知的財産権検討会」6をはじめとして様々な議論が行われているところです。ここでは主要なトピックの一部を簡単にご紹介します。

最も典型的な論点は、AIが生成した知的創造物について、どこまで知財制度で保護されるか(あるいは保護されるべきか)という問題です。この論点において最近注目を集めたのが「ダバス事件」です。AIにより生み出された発明について各国で特許出願がなされたところ、これを特許すべきかどうかについて各国で争いになり、日本を含めて多くの国では特許制度により想定される権利者は自然人であるとして拒絶されました。これは現在の特許法・特許制度が自然人による発明を前提として成り立っていることによりますが、今後AIの進展に応じて制度そのものがどのように調整されるのか注目されるところです。

またもう一つの大きな論点は、著作権との関係です。具体的な例としては、最近日本の某アニメ作品の作風を模してAIにより生成されたイラストが話題となり、これらのイラストが元のアニメの著作権を侵害するかどうかが議論になりました。著作権は具体的な表現を保護するものであり、作風や雰囲気が似ているというだけではこの保護の範囲に含まれないというわけです。従前の著作権制度のもとでは、既存の作風を参考として独自の創作を行うことは通常の創作活動の範疇と考えられていたところ、これがAIにより容易に行えるようになると同じ考え方では知的創造物の保護と利用のバランスが保てないのかもしれません。

さらに、現在のAIは機械学習をベースとした技術が主流となっていますが、この機械学習においては大量のコンテンツを学習入力として用いるとともに、これらの特徴に基づいた新たなコンテンツを容易に出力することができます。この学習入力や出力の工程そのものが、著作権侵害を構成する行為に該当するのか、該当するとすればこのような大量のコンテンツの著作権について利用許諾をどのように運用するのか、といった問題もあります。

おわりに

本稿では、知財に関する様々なトピックや我々のASEANでの活動についてご紹介しました。できるだけ多くの方のご関心に沿う広範な事項についてお伝えしたいという思いから全体としてまとまりのない文章になってしまったことはご容赦いただければと思います。最後までお付き合いいただいた読者の皆様におかれてはどうもありがとうございました。

本稿で述べた通り、我々は知財に関連する事項について、日系企業の皆様の活動を支援しております。何かお心当たりのことがございましたら是非お声がけいただければ幸いです。

訳注

1. 第15回日ASEAN特許庁長官会合の結果について:https://www.jpo.go.jp/news/kokusai/nichiasean/asean2025.html

2. https://www.jpo.go.jp/news/ugoki/202509/2025091201.html

3. https://www.jetro.go.jp/theme/ip/iippf/

4. https://www.jetro.go.jp/ext_images/theme/ip/iippf/past/pdf/asean_india_202502.pdf

5. https://www.jetro.go.jp/world/asia/asean/ip/seaipj/

6. https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/ai_kentoukai/kaisai/index.html

目次

<特集>


<着任のご挨拶>


<編集後記>


執筆者経歴

1978年大阪府生まれ。2003年に特許庁入庁、機械分野の特許審査官・審判官として勤務。2014年には近畿経済産業局特許室長として関西地域の知財活用促進にも取り組んだ。2024年6月にジェトロシンガポール事務所(現職)にて勤務開始。

spr_ip@jetro.go.jp

シンガポール日本商工会議所

6 Shenton Way #17-11 OUE Downtown 2 Singapore 068809
Tel : (65) 6221-0541 Email : info@jcci.org.sg

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