2025年8月号(No.657)バックナンバー

HOME月報概要スタートアップ文化から学ぶ「ハック」と「ピッチ」

スタートアップ文化から学ぶ「ハック」と「ピッチ」

INDEE SINGAPORE PTE. LTD.
株式会社インディージャパン 代表取締役テクニカルディレクター
多摩大学大学院 客員教授

津田 真吾

オープンイノベーションが活況です。大企業から新しい事業を生み出すには、「スタートアップと組まなければならぬ」といった強硬派から、「スタートアップと組むと学びが多い」という穏健派まで、その温度感はさまざまですが、日系企業ではスタートアップと組むのが正義とされている印象を受けます。

というのも、成功するスタートアップは、超絶技術を持っているという認識や、実績も知名度も資源もないのに、スピーディーに仕事をやっつけるというイメージがあるからかもしれません。

さらに、外国駐在で外から本社を見ると、大企業には実績が山ほどあって、誰もが知る看板があるけれど、何かと歩みが遅い…そんなフラストレーションを感じてらっしゃる方も多いのではないでしょうか?

私自身の起業家やベンチャー投資の経験から見ても、スタートアップと「組む」こと自体をゴールにしない方がいいのではないかと思います。あるいは、やみくもにスタートアップを神聖視したり、やり方をマネするのもナンセンスです。

スタートアップとは新しい課題に対する新しい解決策を提案している新しい会社です。 そんなチャレンジをしているスタートアップのあり方や姿勢、つまり、イノベーションを共通の目的とするスタートアップから学ぶことを心掛けてみては?と思うのです。そんなスタートアップ文化を象徴する「ハック」と「ピッチ」という2つの技をご紹介しましょう。

ハックとは何か?

本社に不満がなくとも、異国の地に乗り込んで、短時間で結果を出すためのショートカットはないものかと、悩むこともあるかもしれません。そんな複雑に入り組んだ問題を、一気に処理するようなズルい解決策を「ハック」と呼びます。

同じ語源の「ハッカー」というのは、複雑なプログラムをさらさらさら~と簡単に解析し、武器にしていくエンジニアを指す言葉です。

「ハック」は、一見専門技術のような気がしますが、実は「ものの見方」だということがイノベーター研究からもわかっています。問題解決に長けた人は、良い問いを立て、観察をし、試してみることから、真の解決策につながるといいます。私同様、読者の皆さまの多くはシンガポールにルーツはなく、教育もここで受けていません。シンガポールで短期間でビジネスをするには、現地の文化や商習慣をハックしなければならないはずです。そんなときに使ったツールの一つが「カルチャーマップ」です。

カルチャーマップ

カルチャーマップとは、グローバル文化と企業文化の研究を行っているINSEAD教授エリン・メイヤー氏によるフレームワークであり、ご本人の書籍『異文化理解力』に詳しく紹介されているので、ご興味を持たれた方は一読をお勧めします。ご本人のウェブサイトにも色々な役立つ情報が得られます。

このフレームワークを活用することで「文化」を8つの軸で整理し、各国間の違いを相対的にとらえることができます。紙面の制限もあるので、2点だけご紹介しましょう。

コミュニケーション軸のハック

日本は世界でも有数の「ハイコンテクスト」文化で、言葉にされない「行間を読む」ことが重要視されます。一方、シンガポールなど多文化社会では「ローコンテクスト」なコミュニケーションが一般的です。日本の情報を求められたときには、一つ一つの言葉のニュアンスなども含めた説明を心掛けると諸外国では感謝されます。

例えば、日本人同士だと当たり前の上下関係は、外国人から最も謎な領域の一つです。私が経験した中でも、「系列」「財閥グループ内」の力関係を取引先に解説したところ、「長年の謎が解けた!」と激しく感謝されたことがあります。

決断軸のハック

日本企業は「コンセンサス型」の意思決定を好む傾向がありますが、シンガポールなどでは「トップダウン型」の決断が行われます。自社内で完全同意を待っていると、シンガポール法人はとっくに決まり、長い間待たせてしまうこともよくあることです。それではなかなか信頼関係を築くことができません。

信頼軸のハック

日本は「関係性ベース」の信頼文化が強く、時間をかけて人間関係を築くことが重視されます。一方、多くの国際的なビジネス環境では「タスクベース」の信頼、つまり成果を出すことで信頼を築く文化が主流です。海外拠点の管理職は、本社に対しては時間をかけた関係構築を、現地チームに対しては明確な成果で信頼を示すという戦略が効果的です。

ピッチとは?

スタートアップのピッチ大会が増え、目にしたことがある方も増えたのではないでしょうか。スタートアップが自社の事業案をアピールし、投資家や顧客を呼び込もうとするのがピッチです。英語でPitchとは何もスタートアップ限定ではなく、「提案して売り込む」ことを指す動詞です。昇進や昇給も上司にピッチの対象だったりします。

スタートアップにとって重要なピッチは、資金調達のピッチだけではありません。実績も信用もないスタートアップが取引してもらうには、優れたピッチが必要なのです。つまり、スタートアップにとっては、あらゆるピッチが生死を分ける重要性を持つのです。

ハックが問題解決なら、ピッチはその解決策を周囲に納得させる技術です。どんなに素晴らしいアイデアも、伝わらなければ意味がありません。特に海外拠点では、本社を説得する場面が頻繁に訪れます。

成功するピッチには共通の要素があります。

  1. 共感できる問題提起から始める:解決策を語る前に、まず解決すべき問題が相手に共感できるよう設定します。例えば、遠くの火事の消火よりも、その灰が降り注ぐ害に注目します。
  2. ストーリーテリングの活用:数字やデータだけでなく、感情に訴える物語を織り交ぜることで記憶に残りやすく、相手の行動を引き出します。
  3. シンプルな言葉で伝える:専門用語を避け、誰にでもわかる言葉で本質を伝えます。「5歳児にも説明できなければ、本当に理解していない」というアインシュタインの言葉は、ピッチにも当てはまります。
  4. 具体的な成功イメージを描く:抽象的な可能性ではなく、「これを実行すれば、こういう成果が得られる」という具体的なビジョンを示します。
  5. 協力してもらいたいことを伝える:アイデアだけを伝えるのではなく、相手にとってほしいアクションを明示することも大事です。

ChatGPTやClaudeなどの最近のLLMは、上記のようなピッチのフレームワークを完全に理解しています。ピッチに慣れていない方は、ストーリー起案にLLMを活用するのも非常に有効です。

海外拠点におけるハックとピッチの実践

日本の企業文化では「出る杭は打たれる」という風潮がありますが、海外では「出る杭が評価される」環境も多いものです。そのギャップをポジティブに活用するのは効果的です。シンガポールなどのアジア拠点は、日本と現地市場の「架け橋」となる重要な役割を担っています。この立ち位置を活かしたハックとピッチの実践例をいくつか紹介します:

情報のハブになる:本社と現地の情報格差を埋める役割を自ら買って出ることで、自分の価値を高めます。定期的な「市場インサイトレポート」を作成し、本社に共有することで、自然と意思決定の中心に立てるようになります。離れて日本にいる同僚には情報過多にならないよう、ピッチを意識してストーリー性、提案性を織り込むと特に有効です。

小さな成功事例を作る:大きな予算を要求する前に、自分のリソース内で小さな成功事例を作りましょう。「この方法で小規模にテストして○○の成果が出ました。予算をいただければ10倍の規模で展開できます」というピッチは説得力があります。

異文化を武器にする:日本人として現地で仕事をする、あるいは現地社員として日本本社と仕事をする、どちらの場合も「文化の違い」は時に障壁になりますが、ハックの視点ではこれは強みになります。「日本ではこう考えますが、現地ではこう考えます」という異なる視点を持つことで、両方の良さを活かした提案ができます。

 

ハックとピッチのバランス

最後に重要なのは、ハックとピッチのバランスです。いくら巧みなハックを思いついても、それを周囲に納得させるピッチがなければ「ルール違反」と見なされかねません。逆に、ピッチだけが上手くても、実質的な問題解決策(ハック)がなければ「話だけうまい人」という評価に終わってしまいます。特に海外拠点では、本社との物理的・心理的距離があるからこそ、両方のスキルが求められます。ハックによって現地の課題を解決し、ピッチによって本社の理解と支援を得る。このサイクルを回せる人材こそ、グローバル展開において真の価値を発揮できるでしょう。

まとめ

スタートアップ文化から学べる「ハック」と「ピッチ」は、単なるビジネススキルを超えた思考法です。特に海外拠点で活躍したい方にとって、この二つは強力な武器になります。既存の枠組みにとらわれず、創造的な解決策を見つけ出す「ハック」のマインドと、その価値を効果的に伝える「ピッチ」の技術。この二つを身につければ、どんな環境でも道を切り開いていけるでしょう。

大企業の安定性とスタートアップの俊敏性、両方の良さを理解し活用できる人材こそ、これからのグローバルビジネスをリードしていくはずです。ぜひ皆さんも、日々の業務の中で「これをハックするには?」「どうピッチすれば伝わるか?」と考える習慣をつけてみてください。きっと新しい可能性が見えてくるはずです。

目次

<特集>


<着任のご挨拶>


<編集後記>


執筆者経歴

2011年 イノベーションに特化したINDEE Japanの共同創業者。 2019年 INDEE Singaporeを共同設立、取締役。イノベーションコンサルティング、ハンズオン事業開発に加え、スタートアップへの投資・育成を手掛ける。幼少期を米国ミシガン州で7年間を過ごす。日本IBMのHDD研究開発エンジニア時代に「イノベーションのジレンマ」に触れて以来、イノベーションと新規事業に関する事業開発、教育、投資活動に取り組んでいる。

シンガポール日本商工会議所

6 Shenton Way #17-11 OUE Downtown 2 Singapore 068809
Tel : (65) 6221-0541 Email : info@jcci.org.sg

page top
入会案内 会員ログイン