2025年6月号(No.655)バックナンバー

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シンガポール滞在者の感染症対策

JAPAN GREEN CLINIC
Medical Doctor

中村 紘子

はじめに

シンガポールには2024年10月1日現在32565人の在留邦人が滞在している(1)。長期滞在者の健康管理において、重要な課題の一つが感染症への対応である。SARS、新型インフルエンザ、MERS、そしてCOVID19は、我々を取り巻く医療環境を一変させた。シンガポールでしばしば動向が話題になる感染症は、COVID19や季節性インフルエンザ、そしてデング熱である。2022年欧州を中心にエムポックスが、2024年末には中国でヒトメタニューモウイルスの増加が報じられた。水痘ウイルスによる帯状疱疹の増加も近年話題となっている。本稿では、シンガポールにおける感染症に関するデータを紹介し、その対策として予防接種と防虫対策を取り上げる。シンガポールに滞在する場合の予防接種について、日本や諸外国との違いを解説し、新たなワクチンの話題にも触れる。感染症診断の項では、検査の解釈や実施するタイミングの重要性と、自宅でぜひチェックしてほしい注意点について解説する。治療の項では、抗生剤の適正使用、OTC薬の活用や注意点などについてまとめた。

しばしば話題になる感染症

COVID19

2024年は世界的に報告数が減少した。理由としては、疾患自体の減少以外にも、隔離措置の撤廃に伴う検査件数の減少や、自宅での検査が陽性であっても、軽症であれば医療機関を受診しないことなどが考えられる。重症化リスクのない若年者については、通常の感冒と同様の治療でおおむね問題ないが、高齢者や基礎疾患を有するなど重症化リスクのある場合は抗ウイルス薬の投与が考慮される。シンガポールでは2024年3月1日以降、すべてのパス申請や更新時において新型コロナウイルスワクチン接種歴を満たす必要がなくなったが、重症化しやすい60歳以上の者、基礎疾患を有する生後6カ月以上の者、妊婦やその他の希望者について、医師と相談の上ワクチンを実施する。未接種者については1回(6カ月以上5歳未満は2回)、追加接種については5カ月以上あけて年1回行う(2)。

インフルエンザ

2024年1月から12月までのシンガポールのポリクリニックにおけるインフルエンザ陽性率の推移を図1に示す(3)。北半球と南半球における陽性率の推移(4)(図2)と比較すると、それぞれのピークと同時かやや遅れて、1月から3月、6月から7月、12月に増加が見られた。シンガポールは赤道付近に位置しているため、北半球と南半球それぞれのインフルエンザ流行の影響を受けやすい。またワクチンで獲得した抗体価は約半年を過ぎると低下する。このためシンガポールでは、年1回または北半球と南半球の流行ごとに年2回のインフルエンザワクチン接種が可能である。6カ月以上5歳未満の小児、65歳以上の高齢者、基礎疾患を持つ者、妊婦やその他の希望者について、医師と相談の上実施する。

デング熱

アフリカ、アメリカ、東南アジア、西太平洋、東地中海地域はデング熱の流行地域で、シンガポールでもしばしば流行が見られる。過去5年間のシンガポール国内の症例数の推移を図3に示す(3)。2020年と2022年に大きな流行があったが、2024年は徐々に報告数が減少し、2025年1月2月は前年同時期と比べ77.1%減少した。

デング熱は主にネッタイシマカによって媒介される。ネッタイシマカは、夜明けからの数時間と、日没前の数時間に最も活発に吸血を行い、都市部にも広く生息する。蚊の刺咬を予防するには衣服などで肌を覆う方法や、防虫剤による対策が行われる。アメリカCDCにより有効性が認められている防虫剤(5)のうち、ディート(DEET:N, N-diethyl-meta-toluamide) 30パーセントの製剤では5~8時間程度の持続効果があること、さらにダニ媒介感染症の予防も期待できるため、12歳以上や本格的な野外活動での使用に適している。低濃度のディートも効果は同等だが、持続時間が短くなるので頻回の塗り直しが必要となる。12歳未満がディートを使用する場合は図4のとおり使用回数制限が設けられている(6)。イカリジンまたはピカリジン(Picaridin:KBR 3023)は年齢による使用制限がないため、12歳未満の小児でも使用しやすい。レモンユーカリ油[OLE:有効成分para-menthane-3,8-diol(PMD)]は低濃度のディートと同等の効果を示したという報告がある(7)が、3歳未満は使用を控える。以上は一般的な注意点であるが、個々の製品については必ずラベルを確認し、使用上の注意を遵守する。日焼け止めと併用する際には、日焼け止めを使用した後、防虫剤をその上に塗り重ねる。2022年にはデング熱の感染既往の有無を問わずに接種できるデングウイルス4価弱毒生ワクチンが登場し、インドネシア・タイ・マレーシア・ブラジル・EUなどで承認されているが、シンガポールでは2025年4月現在未承認である。

近年話題の感染症

エムポックス

2022年5月以降の世界的なエムポックスの流行は、IIb型が原因と報告されている。重症化しやすいとされるⅠ型の患者は、アフリカのコンゴ民主共和国、ブルンジ、ウガンダなどで引き続き発生し、2024年1月以降アフリカ以外の少なくとも17カ国でも54例のⅠ型患者が報告されている(8)が、2022年から2025年3月20日までにシンガポールで確認された72例は全てIIb型だった。IIb型は比較的症状が軽く、シンガポール国内における公衆衛生上のリスクは現在のところ低いと考えられているが、過去21日以内に流行地(コンゴ民主共和国や周辺国)への渡航歴があり、原因不明の発疹とインフルエンザ類似症状(発熱、頭痛、背部痛、倦怠感、筋肉痛、リンパ節の腫れ、脱力感)が見られる場合は速やかに病院を受診する。シンガポール国内では痘そうおよびエムポックスのワクチンが承認され、濃厚接触者に対する暴露後接種が可能である。

ヒトメタニューモウィルス(hMPV

2001年に発見されたウイルスで、小児の急性呼吸器感染症の原因として重要な病原体である。生後2歳までに大半の小児がRSウイルスに感染するが、hMPVへの感染はやや遅く、大多数の小児への感染が完了するのは5~10歳までとされている。RSウイルス感染症とともに、高齢者等の成人での発生もある。多くは風邪に似た軽い症状だが、乳幼児や高齢者は気管支炎や肺炎を引き起こすことがあり、肺炎などの際には呼吸器パネルなどで検査を行うこともある。ワクチンはなく、マスクや手洗いなどの予防策が重要である。2024年末に中国でhMPVの増加が報じられたが、北半球の流行レベルとして予想される範囲内と結論された。

帯状疱疹

水痘が治癒した後、神経に潜伏しているウイルスが、免疫低下や加齢によって再活性化して生じる。2014年10月からの水痘ワクチンの定期接種化により水痘が激減した一方、帯状疱疹は全ての年代で徐々に増加し、特に20~40 代の発症率の著しい上昇がみられる(9)。若年者では帯状疱疹後神経痛のリスクは高くないが、発症後早期に抗ウイルス薬を開始する。もともと帯状疱疹発症率は50代以上で急増し、帯状疱疹後神経痛の発症率も高くなる。このため50歳以上や、免疫力が低下して帯状疱疹にかかるリスクが高いと考えられる18歳以上の者は、帯状疱疹ワクチン接種を検討する。帯状疱疹の特徴は、体の片側の神経に沿った水疱を伴う発疹だが、発疹が出現する前に痛みやかゆみが先行することが多いため、発症後間もない時期は診断に苦慮する。自宅での注意点として、入浴時などに全身を観察し、皮膚に異常があれば受診すること、特に顔面や頭部は顔面神経麻痺や目、耳の障害を引き起こすことがあるため、耳鼻科専門医と連携しながら治療が必要となる。

シンガポール滞在者のワクチンの注意点

【小児期、思春期】

12歳未満の外国人がシンガポールの扶養家族パス、長期滞在パス、学生パスを取得する際は、ジフテリアおよび麻疹の予防接種を規定回数済ませる必要がある。特に生後15カ月以上の者には麻疹ワクチン2回接種が求められるため、5歳未満の小児は麻疹・風疹ワクチン2回目を日本の標準スケジュールよりも早く行う必要がある。今後シンガポールから第3国での進学を控えている場合は、予防接種がビザや就学の条件となっていることも多く、余裕をもって準備を進める。主な注意点として、1)日本では11~12歳時は百日咳を含まない二種混合(DT)を接種するが、三種混合(Tdap)を標準接種する国では接種歴として認められないことがある、2)麻疹、風疹、ムンプス、水痘は2回の接種記録が必要である(抗体検査で代用可能な場合あり)、3)日本ではB型肝炎ワクチンは2016年まで任意接種であったため、過去に打っていなければ接種する、4)髄膜炎菌ワクチンが定期接種となっている国では、留学や入寮時などに接種を求められる場合がある、5)アメリカやカナダなどBCGを接種しない国では、BCG接種歴がある人はツベルクリン反応が陽性となることから、結核だと判断されてしまうことがある。結核に感染していないことを証明するため、BCG接種証明書や胸部レントゲンなどの検査を要求される場合がある、などである。女子の定期接種である子宮頚がんワクチンは、男性に接種することでより効果的にヒトパピローマウイルスの伝播を防ぎ、さらに男性の中咽頭がん、肛門がん、尖圭コンジローマの予防効果も期待できるため、9~26歳の男性も接種を検討する。27歳以上でも接種は可能だが、できるだけ初めての性交渉の前に接種することが望ましい。シンガポールでは男性にも9価ワクチンが承認されている(日本では男性の場合4価ワクチンのみ)。

【妊娠期】

インフルエンザワクチン、COVID19ワクチンのほか、大人用三種混合(Tdap)は胎児に受動免疫を与え、重症化しやすい乳児期の百日咳感染予防が期待できるため、妊娠後期に接種を検討する。2024年には日本やシンガポールで成人用RSウイルスワクチンが承認された。本剤を妊娠後期に接種することで、生後6カ月までの乳児のRSウイルス感染予防が期待されているが、他のワクチンとの同時接種や長期的な児への影響など、現時点では不明な点もある(10)。

【成人】

過去に麻疹・風疹ワクチンを2回接種していない場合は接種する。ムンプス、水痘についても接種歴や罹患歴がない場合は接種する。A型肝炎、B型肝炎、狂犬病、日本脳炎、ポリオ、腸チフスなど、渡航先の感染リスクに応じた計画を立てる。黄熱病ワクチン証明書は接種10日後より生涯有効である。マラリアは現時点で有効性の確立したワクチンはないため、予防薬の投与が行われる。既述のワクチンのほか、65歳以上では肺炎球菌ワクチン、60歳以上ではRSウイルスワクチンの接種を検討する。いずれのワクチンも、接種記録を大切に保管する。

感染症の診断

発病から病院を受診するまでの間、自宅で注意するべき点は、1)いつからどのような症状が出たかを記録する、2)体熱感がある時は体温計で測定する、3)発疹をスマートフォンなどで撮影する、4)使用した薬剤がわかるもの(薬剤情報や薬の包装など)を保管する、などである。これらの準備をしておくと、受診した際の診断精度が向上する。どの疾患も早期に診断するに越したことはないが、診断を裏付けるための検査は適切なタイミングで行う。発症後早期でも可能な検査がある一方、陽性となるまでに数カ月を要するものもあるため、慎重に時期をみて実施する。感度が低い検査は、症状の推移を観察しながら複数回実施する場合もある。また、結果の解釈には専門知識を要する(原因菌か常在菌か、現在の感染か過去の感染か、治癒したのか追加治療が必要かなど)。

感染症の治療

原因として想定される病原体に対し、抗生剤を適正に使用する。風邪などのウイルス感染症に対して抗生剤を使用する合理性はなく、むしろ副作用や耐性菌増加を招くため行うべきではない。ただし合併症がある場合や重症化リスクが高い場合などは、この限りではない。適切な診断と根拠に基づいた治療を行うことで重症化を防ぎ、治癒までにかかる時間や心理的・経済的な負担を軽減できる。軽い頭痛や急な発熱時などは、OTC医薬品を利用するのも良い。OTC医薬品はドラッグストアなどで直接購入が可能であり、利便性や安全性が高いのが特徴である。インターネットを利用した個人購入は、偽薬や健康被害などのリスクがあり注意が必要である。抗生剤などOTC以外の医療用医薬品は医師の処方箋が必要である。

おわりに

こまめな手洗いを行う、体調不良や咳があればマスクを着用する、野生動物への接触や無防備な性交渉を避けるなど、日ごろから感染症予防を意識して行動するように心がけましょう。私たちは邦人の皆様の生活を医療面から支えるため、最新の医療情報を提供できるように努力して参ります。

<参考資料・文献>

目次

<特集>


<着任のご挨拶>


<編集後記>


執筆者経歴

中村 紘子(なかむら ひろこ)

埼玉県出身。2003年順天堂大学医学部卒業。順天堂大学医学部附属浦安病院で初期研修、順天堂大学大学院医学研究科血液内科学専攻修了。大学職員(助教)、血液専門医として勤務した後、海外での邦人医療に関心を持ち、2017年上海グリーンクリニック、2024年ジャパングリーンクリニック勤務。医学博士。日本内科学会認定医、日本内科学会総合内科専門医、日本血液学会認定血液専門医、日本渡航医学会認定医師。趣味は旅行とドラマ視聴。

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